【フジコ・ヘミング ソロコンサート “COLORS” ~色を付けるように弾く~ presented by WOWOW】のコンサートレポートが到着したので下記にお届けする。
思い出の街でのコンサートだ。横浜港大さん橋はドイツから渡航してきたフジコ・ヘミングが最初に降り立った地。その桟橋近くの神奈川県民ホールで、フジコはこれまで何度かコンサートを開いてきた。だが、今回は特別な演出が施されていることもあって、格別の感がある。ピアノを弾く彼女の手元を大きなスクリーンに映し出し、ライティングも曲に合わせて綿密に組み立てられているという。それは聴衆を楽しませるのはもちろん、きっとフジコの気持ちも浮き立たせるだろう。
そんな演出への期待にざわめく中、まずオープニング・セレモニー・アクトとして陣内大蔵がステージに現われた。陣内はシンガー・ソングライターであり、牧師でもあるという変わり種。フジコを敬愛しており、フジコの思い出の地でのコンサートということもあって、ウェルカム歌唱といったおもむきだ。フジコの好きな「アメイジング・グレイス」を自らピアノを弾いて歌い、フジコと聴衆にリスペクトを捧げたのだった。
いよいよフジコの演奏が始まる。真っ赤な幕が上がると、真っ白な音響板に囲まれたセットの中心に真っ黒なスタインウェイが置かれ、その前にフジコが座っている。鮮やかなコントラストのビジュアルに触発されたように、オーディエンスから大きな拍手が起こる。シルバーのブレスレットを付けた右手が鍵盤に置かれ、左手がそれに続くと、「エオリアン・ハープ」から「フジコ・ヘミング ソロコンサート “COLORS”」が始まった。
真上からピアノとフジコを俯瞰するカメラと、手元をクローズアップするカメラの映像が、ステージ左右に配されたスクリーンに映し出される。想像以上の迫力と美しさに、オーディエンスは釘付けになる。耳と目に鮮烈な刺激を受けて、オーディエンスはフジコの世界に深く浸っていく。
第1部はF.ショパンの曲が中心。白と黒で構成されたステージに、フジコのピアノが文字通りピアノで色を着けていく。「別れの曲」や「ノクターン 第2番」など、誰もが知っている名曲をフジコは独特の音色=色彩で染めていく。
満員のオーディエンスのほとんどは、フジコの人間味あふれるピアノを楽しみに来ている。腕組みしてピアニストのテクニックを値踏みするような人はいない。そうしたオーディエンスに、フジコは真っ直ぐに応える。
フジコは単に楽譜どおりに弾くピアニストではない。彼女は音楽を通して「感情」を伝えることを第一義に考える。ロマンティックな曲はテンポを自在に変化させて、よりロマンティックに聴こえるように演奏する。色を付けるように弾くフジコの奏法は、今の言葉で言えば「エモい」のである。オーディエンスは、まるで歌うようなフジコのピアノを心から楽しんでいた。
古舘伊知郎は二階席で、彼女の演奏を息を呑んで聞いていた。「圧倒的に女性ファンが多かったですね。彼女たちは同性だから、大変な苦難もあったけれども60代後半で花開いた女としてのフジコさんの人生に自分を投影して、ハラハラしながら『フジコさん大丈夫ですか。今後も元気で弾いてくださいね』っていうような、自分とフジコさんが一体化するような感じがあったんじゃないかな」と振り返る。
特に『ハンガリアン・ラプソディNo.2』は素晴らしかった。当時のダンス・ミュージックだった曲の特性を表わすように、フジコはピアノでさまざまなステップを踊ってみせた。弾き終わると右手を胸に当て、一礼すると幕が降りたのだった。
休憩時間のロビーは賑やかだった。オーディエンスたちは、情感たっぷりの演奏とスクリーン映像の楽しさについての話が弾んでいるようだった。そして第2部がスタートする。
幕が上がると、真っ白だった反響板がブルーのライトで染め上げられ、ピアノの後ろには光を灯した数十本のキャンドルライト風のオブジェが林立している。フジコはといえば、シックでゴージャスな着物風の衣装に身を包んでいる。その美しさにオーディエンスは意表を突かれ、感動の拍手が鳴り止まない。
今回のコンサートの演出は、映画『フジコ・ヘミングの時間』の監督・小松莊一良が担当。小松はフジコの魅力はクラシックというジャンルには収まりきらないと常々語ってきた。今回はその集大成を目指すと言っていた通り、フジコを中心に据えて、オリジナリティの高いセット、照明、衣装、カメラワークで彼女の世界観を存分に表現する。
「私はシャンソン歌手のジュリエット・グレコが大好きで彼女のコンサートによく行ってたんですけど、観るたびにいつも『ドラマティックな照明を使っていて、いいな。私も一回やってみたいな』と思ってた。だけどね、クラシック・ファンの中には『ああいうのは安っぽい』とか、すぐそういうこと言う人がいるからなかなかできないでいた」と、フジコは“小松演出”について後日語っていた。彼女は長年の夢を小松の手を借りて実現できたことを喜んでいる。ただし、「私の手は太くてごついけど、いい音が出る。神様からもらった手。でも決してきれいじゃないから、大きく映されるのはイヤよ(笑)」。それでもオーディエンスがフジコの指先に感激しているのは、先の休憩時間での会話を聞けば一目瞭然だった。
ひとしきり拍手を受けたフジコは、座ってドビュッシーの「月の光」を弾き始める。頭上のカメラがフジコの指先とともに、赤や銀の配色があでやかな衣装を映し出す。この衣装はフジコ自身が制作したものだ。「大正時代の着物をアレンジしたの。ヨーロッパで意見を聞くと、『衣装はドレスより着物のほうがいい』ってみんな言うからね。あれはパリで羽織をはおって歩いてるフランス人の男の人がいて、すごくいいなと思って私も真似してみたの(笑)」とフジコ。ステージ全体の色合いと調和して、通常のクラシック・コンサートとは異質の楽しさを醸し出す。
第2部で圧巻だったのはベートーヴェンの「テンペスト」だった。第1部での曲目変更などどこ吹く風、この大作をフジコはアグレッシヴに演奏する。一語一語を噛みしめるようなフレージングは、力強いスピーチを聞く快感に似てオーディエンスを圧倒。終わると大きな拍手が起こったのも納得の出来栄えだった。
そして最後はもちろん「ラ・カンパネラ」。フジコ独特の音色が会場の隅々にまで響き渡る。曲の劇的な展開に合わせて、照明がブルーからピンク、さらには情熱的な赤へと変化。小松とフジコが目指す「総合芸術」の一端が見えた気がした。
「僕はこのライブに心を揺さぶられたんですよ。いろんなコンサートに行ってすごいなと思うこといっぱいありますけど、今回は『えっ? 俺にこんなに純なところがあるんだ』っていう発見があった。フジコさんのピアノを聴いているうちにちょっと涙が滲んでくる感じがして。雨だれの音みたいにポンポンって弾き出して、そこから曲に入っていったときに、うわーって揺さぶられて、昔の懐かしくて楽しかった思い出がスーっと浮かんできた。僕はクラシックのことはよくわからないんだけど、自分の中に眠ってる何かがフジコさんのピアノにノックされて立ち上がってくる。それがすごく気持ちよかった」と古舘。
演奏を終えたフジコが立ち上がり、会場を笑顔で見渡す。しばらく経っても拍手が鳴りやまない。「アンコールの万雷の拍手すらも音楽に聞こえてきた。フジコさんのピアノはもちろん、皆さんの拍手も含めて全部音楽だった。だから横浜からの帰り道、『目の保養』って言葉があるけど、『耳の栄養』っていうものがあるんだなと思って、すごく豊かな気持ちになれたんですね」。
「アンコールではイギリスのロイヤル・オペラ・ハウスで第一ソロコンサートマスターを務めるバイオリニストのヴァスコ・ヴァッシレフが、一輪のバラを持って登場。フジコに花を手渡すとブラームスの「ハンガリー舞曲 第5番」とシューベルトの「アヴェ・マリア」を共演。ボディアクションも含めて表現力豊かなヴァスコのパフォーマンスは、フジコの思い出の地・横浜ならではのエキゾティックな色彩をコンサートに添えて、特別な夜になった。
フジコと古舘は、番組のために日を改めて対談を行なった。場所は古い洋館を改装したスタジオで、話は和やかに進んだ。
「フジコさんとお話するのは初めてだったんで、ちょっと緊張したんですけど楽しかったです。齢(よわい)90にして今存在しているフジコさんに対すると、素直にならざるを得ない。リスペクトするのは当たり前で、1対1で対談をしましょうって気はさらさらなくて、インタビューさせていただいてありがとうございますという感じでした。いろんなことがあって、苦しみがいっぱいあったって正直におっしゃっていて、でもその果てに色気が宿っている。人生の中和抗体がしっかりできてる方なんだって思いました」と古舘。
二人の話は途切れることがなかった。中で面白かったのは、古舘が話をまとめようとすると、フジコがそこからはみ出そうとするシーンが何度かあったことだった。
「妖精のような存在であるフジコさんも素敵だけど、皮肉を言うフジコさんも僕はチャーミングだと思う。上品な皮肉っていうのが世の中にはあるんだって思いました。素晴らしいピアノの音色と、トークしてる最中の上品な皮肉が、僕の中では『ピアノの白鍵と黒鍵』みたいに思えて最高でした(笑)」。
感動的な演奏と、ウイットに富んだトークが合わさると、果たしてどんな番組になるのだろうか。どうぞお楽しみに!
Text by:平山雄一
Photo by:田中聖太郎
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