■猗窩座の絶望と鬼化
優しい青年の純粋な愛情は、いつしか「強さ」だけを求める鬼・猗窩座の妄執へとかたちを変えていった。鬼になるとほとんどの者は記憶を欠損するのだが、猗窩座は幸せだった日々を忘れても、なおも強くなることを願った。それはなぜか。彼は「約束」だけは忘れなかったのだ。
俺は誰よりも強くなって 一生あなたを守ります
(人間時代の猗窩座/18巻・第155話「役立たずの狛犬」)
来年も再来年も、大切な人たちと一緒に生きていきたいと願った、過去の猗窩座の夢。それが卑劣な人間の手によって破壊されたのち、猗窩座は自分のことを責め続けた。愛する人たちの身に悲劇が起こらぬように、事前に対処することはできなかったのだろうか、と。
やがて、鬼になった猗窩座は、不条理な運命にあらがうことすら諦めて、「(弱い者たちが)淘汰されるのは自然の摂理に他ならない」(17巻・第148話)と言うようになるのだが、戦いの渦中で炭治郎はそれをきっぱりと否定した。
強い者は弱い者を助け守る
そして弱い者は強くなり
また 自分より弱い者を助け守る
これが自然の摂理だ
(竈門炭治郎/17巻・第148話「ぶつかる」)
この炭治郎の言葉を引き金に、猗窩座は自分に武術を教えてくれた「亡き師」の言葉を鮮明に思い出した。
戦う相手は いつも自分自身だ
重要なのは 昨日の自分より強くなることだ
それを十年 二十年と続けていければ立派なものさ
そして今度は お前が人を手助けしてやるんだ
(猗窩座の師・素山慶蔵/17巻・第149話「嫌悪感」)
かつて猗窩座はその言葉を信じていた。だからこそ、鬼になってから百年以上、孤独の中でみずからを鍛え、ひたすら強くなろうとしたのだ。
この過去の記憶を取り戻した瞬間、猗窩座の悲憤が頂点に達する。猗窩座にはもう「守りたい相手」はいないのだから。猗窩座は誰のために、強くなったその拳を振るえばよいのか。炭治郎には妹が残されていて、彼を守ろうとする師(兄弟子)の義勇がいるではないか。
自分が「大切な人たち」を失った現実を、猗窩座は炭治郎との対決の中であらためて思い知らされることになる。記憶の回復は猗窩座を絶望の淵まで追い詰めた。この後、猗窩座の心は果たして救われることができるのか。劇場版でその結末を見届けたい。
《新刊『鬼滅月想譚 ――「鬼滅の刃」無限城戦の宿命論』では、炭治郎と猗窩座の思考の違い、水柱・冨岡義勇と猗窩座の「トラウマの共通点」など、あらゆる角度から無限城の戦いを分析。コラムでは、蛇柱・伊黒小芭内と霞柱・時透無一郎との「心の交流」についても紐解いている》
