七月十二日より、小暑の次候「蓮始開」となります。「蓮の花が開き始めるころ」という意味です。宣命暦では「蟋蟀居壁 (しつしゅつ かべにおる) 」で、秋の虫であるコオロギが壁(の隙間とか割れ目の)裏にいつき、次の季節の到来に備えているということでしょうか。日本の略本暦の場合、約ひと月後となる盂蘭盆を意識し、あえてハスを登場させているのでしょうか。梅雨明け直前、盛夏の訪れを予告する時候です。

ハスの花
ハスの花
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悠久の生命力を保つハスの種子

蒸し蒸しとする季節、水面を渡る朝風にたおやかにそよぐハスの花は、まさに一服の清涼剤です。ところで、同じ時期にやはり池や沼などの止水域に咲くスイレン(Nymphaea)は、ハス(Nelumbo nucifera)とはまったく異なる種類であることはご存知でしょうか。かつてはハスとスイレンはごく近縁の植物と考えられ、ハススイレン目 Nymphaealesスイレン科Nymphaeaceaeに属していました。実際漢字でも「蓮」と「睡蓮」でどちらも「蓮」ですし、ヨーロッパではロータス(lotus)はハスのこともスイレンのことも指します。ハスは花茎が水面から高く伸びて咲き、スイレンは水面から直に花が咲くとか、スイレンは浮き葉(水面に浮いた葉)で葉に切れ目があるが、ハスは立ち葉(水面から高く伸びた葉)で切れ目のない丸い葉であるなど、外見上の一応の見分け方はあるのですが、それも絶対ではなく、スイレンの中にも水面から高く伸びて咲くものもあるし、立ち葉を持つスイレンもあったりしますし、なかなか「別物」といわれてもにわかに納得できないほど似通っています。これは生物界で言う「収斂(しゅうれん)」といわれる現象で、同じ環境に適応した別種の生物が、外見上似かよった進化をする(たとえば、鯨やイルカが、水中に適応するために魚のようなひれを進化させるなど)近年のDNA解析によって、かなり古い時代に分岐していたことがわかり、ハスは現在はヤマモガシ目(Proteales)に分類されています。ヤマモガシ目とは聞きなれない名前ですが、街路樹によく植えられるスズカケ(プラタナス)や、マカダミアナッツの実をつけるマカダミアなどが属する、樹木の多い目です。マカダミアナッツとハスとでは、随分とかけ離れているように思えるし、意外ですよね。でも、「世界一硬い」といわれる殻をもつマカダミアナッツと近縁であることは、ハスの実もきわめて堅固な外殻を持ち、発芽に適しない環境では1000年を越えて種子を保護し続けることからも理解できます。1951年に千葉市の東京大学検見川厚生農場の落合遺跡で発掘された2000年以上前の弥生時代のものと思われるハスの種子が、理学博士大賀一郎氏により発芽させたことで世界的に有名な「二千年蓮(大賀蓮)」や、埼玉県行田市のゴミ集積場から偶然発芽した「行田蓮」、岩手県中尊寺金色堂須弥壇から発見されて発芽した「中尊寺蓮」など、古い時代の種子から発芽繁殖したハスが多く存在するのも、この硬い外皮に胚珠が保護されているためです。

こちらは睡蓮
こちらは睡蓮

ピンクのハスはローカ・パドマ(世界神の母)の象徴

このように人間の命をはるかに超えた時を生き続けるハス。特にアジアにおいて深い信仰のシンボルとなったことは、偶然ではないのかもしれません。
盆花といえば桔梗やミソハギ、山百合などの総称ですが、ハスは別格の「常花」として、仏壇に金銀の造花が常に飾られ、仏具の台座は蓮華座となり、仏教においてハスの存在は仏の悟り(涅槃)そのものの象徴として別格の扱いとなっています。「蓮華」の言葉の通り、ハスもスイレンもともに「蓮華」で区別はなかったのですが、そんな時代でもやはりスイレンよりもハスはより高貴なものとして扱われ、白蓮を「プンダリーカ」といい、これは「妙法蓮華経」の原文「サッダルマ プンダリーカ スートラ(सद्धर्मपुण्डरीक सूत्र, (正しい教えである白い蓮の花の経典)」と同一であり、五色あると説明される蓮華の中で最高のものとなります。
一方、私たちが見る、より一般的な赤みがかったピンクのハスは「パドマ」といいます。これは、インド神話のヴィシュヌ神のへそから生じた「世界蓮」=ローカ・パドマと同一視されます。ローカ・パドマからブラフマー神が生まれ、世界の創造神となっていきます。ヴィシュヌから生じたローカ・パドマはまた、ヴィシュヌの妻・ラクシュミ―でもあり、この女神はブラフマーの母、つまり「世界の母」としてインドで崇拝され、ピンクのハスはその象徴でした。
かつては蓮の葉を蒸しあげ細かく刻んで炊き立てのご飯と混ぜた蓮葉飯(はすはめし)は、盂蘭盆、仏教祭礼の供物として作られていました。またこれをかゆにした蓮粥という料理もあり、お盆や仏教行事とハスは、切っても切れない深い関わりがありました。

ハスの花
ハスの花

優雅かつユーモラスな「象鼻杯」・「ハスッパ」の語源となった蓮葉売り・・・ハスの葉はさまざまに利用されてきた

梅雨が明けると、各地の蓮池や蓮田では、「観蓮会」や「蓮祭り」が催されます。そんな蓮祭りの行事の中で人気なのが「象鼻杯」。
東晋の書家・王逸少(321―379)が会稽山の蘭亭で催した蓮を鑑賞する宴「曲水の宴」が起源ともいわれる象鼻杯(碧筩杯)。
大きなハスの葉を茎ごと手折り、ハスの葉のおもての、落ち窪んだ茎の付け根(荷鼻)に竹串で穴を2~3つほど開けます。そして手のひらでハスの葉を下から支えて持ち、そこに酒を注ぎます。そして、長い茎を下側から持ち上げて曲げて口に持っていき先端を吸います。すると、ハスの茎には気道があるため、開けた穴からストローのように気道を通過して飲むことが出来ます。象鼻杯をたしなむ姿は、楽器のチューバを吹いているようにも見えてちょっとユーモラス。蓮の葉の茎を切ると樹液のような苦味のある白い汁が出ますが、この汁が酒に混じり清涼感を感じることが出来るのだとか。ちなみに、この切ったはすの茎の気道のあいた切り口と、飲むときの屈曲した形が象の鼻のようであるため、「象鼻」杯というわけです。また、ご存知の通りハスの葉の表面には撥水性があり、酒を注ぐとキラキラとした銀に美しく輝きます。この輝きをながめつつ飲むのも、象鼻杯の楽しみ方だそう。
9世紀頃には、中国ではこうした観蓮節は夏の納涼の風物詩になるほど盛んであったようです。
ちなみに、この蓮の茎の汁はアボリジニの腹痛や解熱の薬だったといわれ、細菌、カビの繁殖を防ぐ松の葉や笹のような成分が含まれています。この殺菌成分と、水分をはじく性質を利用して、盆の供物を盛り供えるためのハスの葉を売り歩く季節行商が存在しました。ハスの葉は、盆の間だけ使われて廃棄されるため、ハスの葉のように短期間しか持たない粗製の安物や季節ものを扱う商売を総称して「蓮葉商い」といわれるようになりました。この蓮葉商いのように、気紛れで浮ついていて粗製なものを「蓮葉」というようになり、やがて、時代が下ると、言動が乱暴だったり浮ついていたりする女性のことを「蓮葉女」と侮蔑していうようになり、のちにこれがおてんばや行儀がなってなかったり不良っぽい娘のことを「蓮っぱ」と呼ぶようになりました。でもいまや、「蓮っぱ」という言葉自体が若い人には聞いたことすらない言葉になっているようです。まさに人の浮世は、「蓮葉商い」のようにうつろいやすいものです。
実際のハスの花は、三日咲き続けて四日目には散ってしまうというはかないものです。でもハスの花を見ると、現実の時間や空間から別次元にいるような不思議な気持ちになります。有名なハスの名所もいいですが、田舎道の小さなため池にフッと咲いているハスも、いいものですね。

ハス祭り
ハス祭り