『バド・パウエルの芸術』
『バド・パウエルの芸術』
この記事の写真をすべて見る

●田舎では、ジャズ・レコード・イコール・国内盤新品だった

 あなたはどこでジャズのCDを買いますか? 行きつけのお店はありますか? それともネット通販で買うことが多いですか?

 あなたはどの“版”のCDを選びますか? 日本語のライナーノーツがついているから国内盤を優先しますか? それとも価格のリーズナブルな輸入盤にしますか?

 どんな欲しい作品でもプラスチック・ケースであれば買い控えて“紙ジャケ化”されるのを辛抱強く待ちますか?

 それとも、あくまでも安さにこだわって中古品で手に入れますか?

 いきなり質問攻めにしてすみません。

 さように選択肢のある私たち現代日本のジャズ・ファンは幸せです。しかし今から30年前の北海道(もちろんアナログ盤の時代です)のジャズ・レコード情況に、“選ぶ余地”など皆無でした。手に入れられるものはイコール国内盤の新品でした。ビクター音楽産業、東芝EMI、RVC、ポリドール、日本フォノグラムなどから発売されるジャズ・レコードの、たまたまレコード店に入荷したほんの何割かを、北国のジャズ・ファンたちは定価で買い、むさぼるようにして聴いていたのです。

●旭川に、中古レコード店がやってきた!

 私の育った北海道旭川市に、中古レコード店が初めてオープンしたのは1980年代の初頭だったと思います。当時の同市では「マルカツ」、「長崎屋」という2大デパートが覇を争っていました。その後、「西武」が進出してきたり、「オクノ」や「エスタ」といった北海道限定であろうデパート・チェーンも、のしてくるわけですが、昭和50年代の前半は「マルカツ」と「長崎屋」の2トップであったと記憶しています。

 で、私はだんぜん「マルカツ」派でした。店名がなんだかトンカツみたいでおいしそう、というのもあながち冗談ではなく、とにかく、安く、おいしいものをたらふく食べることができたからです。製麺所が出店するうどん屋ですすった100円のかけうどんが、どれほど体を暖めてくれたことか。耳の不自由なひとが働く店で売っていた「100円エクレア」、「100円ショートケーキ」も、成長期の私にとってはかけがえのないごちそうでした。

 その「マルカツ」の一角に、中古レコード・コーナーができました。といっても私はそれまで中古未体験です。「見ず知らずのひとが手放したレコードを買う」という概念は、たちまちには理解できませんでした。ようするに何度か盤面の上をレコード針が通っているわけじゃないですか。そんなレコードが売られている、という概念もなかなか理解できませんでした。

 が、ある日、例によって「マルカツ」店内をぶらぶらしていると、壁に飾られた1枚のLPジャケットが、「ちょっとそこの君、俺を買ってくれないか。買ってくれなきゃ発狂しちゃうよ」とばかりに目に飛び込んできたのです。正方形の図面の左側が赤みをおびたオレンジ、右側が赤紫と真っ二つに分かれていて、そこにまたがるように、両手を動かす男を横向きに描いたイラストが印刷されています。売値は確か980円、帯はありませんでした。気がつくと私は、伊藤博文1枚を握り、そのレコードを持ってレジに向かっていました。

●「ピッチを修正しました」

 家に戻るバスの中で、日本語ライナーノーツを目で追いました。タイトルは『バド・パウエルの芸術』、発売元は日本コロムビアとあります。そういえば以前読んだなにかのガイドブックに、“歴史的名盤”とか書いてあったなあ、と思いつつライナーの本文を読み進めていくやいなや、いきなりビックリするような記述にぶち当たりました。うろ覚えですが、たしかこんな内容でした。

 「アメリカ盤は半音近くピッチが狂っていたので、今回の日本プレスにあたり、ピッチを修正した」

 半音近くピッチが狂っていた? それって不良品じゃないですか。そんな不良品を売り続けてきたなんて、さすがアメリカ。と幼い私は思いましたね。

 私もバンドマンの息子、半音ものピッチのズレが音楽を味わう上でゆゆしき大問題をもたらすということぐらいはわかりますが、それはそれとして、この記述から察すると、私の買ったコロムビア盤の前に出た歴代の『バド・パウエルの芸術』は概してピッチがおかしかったということになります。ということは、アメリカ盤を聴いた評論家諸氏は、その狂ったピッチのものを聴いて、少しも生理的な気持ち悪さを感じずに、“歴史的名盤”とか”ピアノ・トリオの聖典”とか、“さすが天才パウエル”などと誉めそやしておられたのでしょうか。もっとも、一番スカタンなのは、狂ったピッチのマスター・テープを使ってレコードをプレスし続けた米ロイヤル・ルーストとルーレット社でしょうが…。

●“天才の魔力”に、羽交い絞め

 家に着き、“ピッチの修正された” 『バド・パウエルの芸術』に針を落としました。

 気持ちいいです。かっこいいです。興奮します。身が引き締まります。ジェットコースターに乗って、とてつもない高い場所から一気に駆け下りていく快感を味わいました。鮮やかな風景の数々が目を彩り、いろんな風が体に当たって、なんというか、ものすごく素敵な旅にいざなってもらったような満足感に包まれながら、A面の8曲を聴き終えました。

 レコード盤を裏返すと、さらに8曲が続きます。このへん、通に言わせると「1947年録音のA面は絶頂期の記録、53年録音のB面はピークを過ぎてからの録音」ということになるのでしょうが、当時の私は、この6年の間にパウエルが精神病院に入っていたとか、アンモニアを引っかけられていたなどという話は一切知りません。A面もB面も同じように素晴らしいと思いましたし、その印象は今でも同じです。あの音色がある限り、パウエルは別格なのです。

 とにかく『バド・パウエルの芸術』は、私を一瞬にしてパウエル・ファンにしました。「苦悩の天才パウエルのゲージツが、年端もいかないガキにわかるわけがない」とおっしゃる方もいるかもしれませんが、彼の演奏が好きになってしまったんだからしょうがないでしょう。以来、私はジャズ喫茶にいくごとにパウエルを求めるようになりました。札幌の「アクト」という喫茶店で聴いた『ジャズ・ジャイアント』のA面、旭川の「ドルフィー」でかかった『ストリクトリー・パウエル』、「志乃」で流れた『ブルース・イン・ザ・クローゼット』などなど…。今もパウエルの音に触れるたび、あの、なんともいえない昭和のジャズ喫茶の薄暗い空間と、そこに充満したコーヒーの匂いが思い出されてなりません。