世界を縦横無尽に駆け巡る人気作家・椎名誠と、チベット関連の著作を多く持つ妻・渡辺一枝は1968年に結婚した。当時、夫はデパート業界専門誌の会社に勤めていた。妻は妊娠を機に事務職を辞め、母が自宅の庭に建てた保育園で保育士として働き始めた。夫は、会社を辞めたあと、すぐに人気作家に。が、家庭では問題も起きていたという。

夫「会社を辞めて野に解き放たれて、僕は海外のあちこちにバンバン行きだした。でも僕が留守の間に出版社が、自宅に電話をしてくるわけです。真夜中の1時とか2時に平気でかけてくる。彼女はそれで起こされて」

妻「翌日、早番で出なきゃいけないのに」

夫「そういうのが続いていて、彼女はノイローゼ気味になっちゃったんです。それに気がつかなかったのは俺がうかつだった」

妻「とにかく電話が嫌いになりましたね。気分が落ち込むとかは、自分ではなかったと思うけど……」

夫「ヘンだなと気づいたのは、ある仕事で長期にパタゴニアに出発する3日前。話をしていても一切こっちの顔を見ようとしないんです。でも、どうしても行かなきゃなんなかった。出発の日の朝、自転車で保育園に行く彼女を見送ったとき、振り返るかなと思ったら、全然振り返らないでサーッと行っちゃったんだよね」

妻「あはは」

夫「それが旅の間、ずっと目に焼き付いていてね。しかも行った先では電話も日本にろくに通じなくて、ずっと連絡が取れなかった。あのときは『ああ、もう家に帰っても、いないのかもしれないなあ』と思った」

妻「そんなこともあったかしらね」

夫「でも帰ってきたら、ちゃんと日本の正しい朝ごはん作ってくれてね。ああよかった、って」

 87年、妻にも転機が訪れる。18年間務めた保育士を辞めて、念願のチベットを訪問したのだ。42歳のときだった。

妻「サラリーマンを辞めてから椎名の友人関係がすごく変わってきたんですね。いろんな人たちを見て、私ももうちょっと広い世界を知りたいなあ、と」

夫「『チベットに行きたい、いつか行くんだ』とは言ってたけど、保育園を辞めた翌日に本当にチベットへ行きましたからね、この人は」

妻「ちゃんと計画を立てていたんですよ。たまたま翌日だったの」

夫「潔いというか男らしいというか。俺はびっくりして、『え? 本当に行くんだ。行かないでくれえ』とか言ったりしてね。それの連続だ。この人との人生は(笑)」

妻「世間は別のイメージを持っているみたいですけどね。私が椎名の帰りを耐えて待ってる、みたいな」

夫「実は逆。この人が半年間、馬でチベットを回ったときは4カ月間行方不明だったんですよ。電話も通じない。そのころヒマラヤから帰ってきた登山家に会ったら『日本の女の人が馬に乗って家来を従えて、西遊記みたいになってるけど、あれ誰だ?って向こうで噂になってる』って。それ聞いて『うちの女房かもしれない。まだ生きてるんだなあ』と思った」

(聞き手・中村千晶)

週刊朝日 2015年1月2―9日号より抜粋