自分を振り返れば高校受験も嫌々やって失敗し、大学受験の数か月前にやっと尻に火がついたクチで。夫は高校の3年間受験への熱意を燃やし続けたタイプなので長男のやる気のなさが信じられなかったようですが、彼だって小学校時代を思い返せば毎日公園で過ごしていたあの時間をすべて勉強に費やすなんて想像もつかなかったわけです。
自分と子どもは別の人格。子どもは自分の過去の失敗をやり直させる形代ではない。何度も受験指南書で見ていた言葉なのに、つい自分の過去の失敗を重ね合わせて「あの時もっと早くやる気を出していれば」と子どもの未来に先回りしようとしてしまう。自他の境界線曖昧ってやつですね。
でも、どうせ子に自己投影するならここまでやれたらよかったな。
「あんなダメダメ受験生だったけどそれでもどうにかなって今幸せだよね?私。じゃあわが子だって大丈夫だ!」って。
中学受験の取りやめという形で幕を引いた習い事ラビリンス最終章。これ以降、私は弟たちも含め本人からやってみたいという話があるまで習い事に誘うことはしていません。笑顔が戻った中2長男は、今は彼のペースでじっくり教えてもらえる個別指導塾に通っています。心配していた公立校で内向的なところは変わらずとも穏やかに学校に通い、スローペースなりにも少しずつギアが上がってきていて、返す返すも小学校時代の余計な心配のせいで無駄なストレスをかけてしまったことが悔やまれます。これで十分だったじゃないか、ねぇ。
みんなが揃った食卓で夫と私は大学や新卒のころのたわいもない思い出をよく話すようになりました。すると長男は大学への関心を見せ始め、将来の夢や行きたい大学も見つけつつあるようです。
とはいえ、そろそろ高校受験が見えてきている今も相変わらずのんびりしている長男を見ると、「早く勉強したら」「いい加減やる気出して」「コツコツやればいいのに」と性懲りもなく妖怪オヤゴコロが顔を出しかけます。そのたびに心の中に「アノ時ノグウタラ娘(自分)」を召喚しては「ナントカナルドウニカナル……待ツベシ!!」と喝を入れてもらって妖怪退治をするのでした。
追伸:長男にはこのエッセイを書くことについて承諾をもらっています。プライバシーに触れる部分はぼかしてまとめました。