くにえだ・しんご/1984年、東京都出身。ユニクロ所属。脊髄腫瘍による下半身まひのため9歳で車いすに乗る。車いすテニスを始めたのは11歳のとき。パラリンピックは2004年のアテネ大会でダブルス金。北京、ロンドンと2大会連続シングルス金。リオ大会はダブルスで銅。これまで年間グランドスラムを5回達成している。19年11月現在、世界ランキング2位(写真/写真部・加藤夏子)
くにえだ・しんご/1984年、東京都出身。ユニクロ所属。脊髄腫瘍による下半身まひのため9歳で車いすに乗る。車いすテニスを始めたのは11歳のとき。パラリンピックは2004年のアテネ大会でダブルス金。北京、ロンドンと2大会連続シングルス金。リオ大会はダブルスで銅。これまで年間グランドスラムを5回達成している。19年11月現在、世界ランキング2位(写真/写真部・加藤夏子)

 東京パラリンピックの日本選手団主将を務める国枝慎吾(37)が出場する車いすテニスは8月27日から始まる。AERA2020年1月20日号で力強く語っていたインタビューを紹介する(肩書きや年齢は当時)。

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 卓越したチェアワーク(車いす操作)を武器に、10年以上もの間、世界の王者に君臨した車いすテニス界のレジェンド、国枝慎吾。2021年は挑戦者として5度目のパラリンピックに臨む。

 シングルス3連覇がかかった16年のリオ大会は準々決勝で敗れた。

「ボールが飛んでくるのが怖かった」

 右ひじのケガの影響で、バックハンドの際にひじを曲げると痛みが走った。痛み止めを打ち出場したが、ラケットを構えるたびに、「ああ、痛みがくるぞ」と、ラケットを振り切れなくなっていた。持ち味の強烈なバックハンドも影を潜めた。

 引退も覚悟したかつての王者が取り組んだのはフォームや用具の改造だ。ひじに負担のこない握り方やグリップを探り、尻を包み込むバケットシートを初採用した。当初はフォームが安定せず、ラケットが地面に突き刺さることもあった。

 光明が見えたのは約1年後。18年、3年ぶりに全豪、全仏を制し、2年4カ月ぶりに世界ランク1位に返り咲いた。

「自信を失い、王者の看板も外され、チャレンジャーの立場でプレーできたのが良かったのかもしれません」

 09年、日本の車いすテニスプレーヤーで初のプロ選手になった。「後に続く選手たちのためにも絶対失敗できない」と、自らを追い込み、結果を出し続けてきた。

「東京開催が近づき、選手の競技環境が充実した。2020年以降は、東京でどれだけ成績を残せるかにかかっている」

 プロ選手としての矜持がにじんでいる。

(編集部・深澤友紀)

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■車いすテニス

 2バウンドが認められている以外は通常のテニスとほぼ同じルール。足を使って車いすを操作したり、地面に足をつけたりするのは原則禁止(特例あり)。打つ際に両方の臀部を浮かせてはいけない。バルセロナ大会から正式競技。

※AERA2020年1月20日号に加筆