11歳で初めて車いすテニスをした千葉県柏市のテニスセンターで。今もここが練習拠点だ(写真/佐藤ひろし)
11歳で初めて車いすテニスをした千葉県柏市のテニスセンターで。今もここが練習拠点だ(写真/佐藤ひろし)

 プロ車いすテニスプレーヤー、国枝慎吾。小学校4年生のとき、脊髄の腫瘍が原因で車いす生活になった。運動が大好きだった少年は、母のサポートでバスケに夢中になり、テニスと運命的に出合う。国際大会で優勝を重ね、世界ランキング1位に。車いすテニス界のレジェンドになった。けがに悩み、一時は引退も覚悟したが、不屈の心とフォームの改良で復活し、再び世界の頂点に。まだまだ、最強伝説は終わらない。

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 国枝慎吾(くにえだしんご)(37)に夢の話を聞いたのは、今年の1月だった。

「小学生の僕は、夢の中ではずっと歩いていました。野球やっていたりとか、駆けっこしたりとか。それが中学に上がってから、車いすに座っている僕が出てくるようになっていきました」

 深層心理学で、無意識の働きを意識的に把握する試みとして夢分析が使われるが、国枝は自分なりの解釈を話してくれた。

「中学生ぐらいになったとき、自分は生涯走ったり、歩いたりすることはない、と受け入れたのかも。ちょうどその時期と、夢の中の車いすの自分が重なるかもしれませんね」

 国枝は車いすテニス界の「生きる伝説」だ。そのすごさを物語る有名な逸話がある。

今年5~6月に開催された全仏オープンで、国枝は決勝でイギリスのアルフィー・ヒューエットに敗れ、3年ぶり8度目の優勝はならなかった(写真/佐藤ひろし)
今年5~6月に開催された全仏オープンで、国枝は決勝でイギリスのアルフィー・ヒューエットに敗れ、3年ぶり8度目の優勝はならなかった(写真/佐藤ひろし)

 テニスの錦織圭が世界ランキングのトップ10の常連になる前、テニスの4大大会歴代最多優勝記録を誇っていたロジャー・フェデラー(スイス)が、「なぜ日本男子は世界のトップ選手が出てこないのか」と聞かれ、こう答えたという。「クニエダがいるじゃないか」

 国枝のことだった。2008年北京パラリンピックで金メダルを取ったのをきっかけに、翌年4月に車いすテニス界で日本初のプロ選手となった。フェデラーや錦織らが踏む舞台と同じ4大大会の車いす部門で優勝を重ねてきた。8月2日時点で世界ランキング1位。8月24日に開幕する東京パラリンピックでは、日本選手団主将の大役をつとめる。

■母が伝えた車いすの生活 初めて息子が弱音を吐いた

 彼を初めて取材したのは04年アテネ・パラリンピックだから、もう17年ほどになる。

 障害を持つに至った経緯は取材を始めて間もないときに聞いている。9歳のときに背中に腫瘍ができて手術をし、以来、車いすの生活になった。国枝は当時のことを、こう説明してくれていた。まだ彼が20代のころだ。

「両親に不幸を嘆いた記憶はないですね。そのまま一生、車いす生活になるという意識がなかったのかもしれないです」

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