2016年10月、香港コロシアムで歌うデニス・ホー(c) Aquarian Works, LLC
2016年10月、香港コロシアムで歌うデニス・ホー(c) Aquarian Works, LLC

 香港民主化運動に一身を挺した香港ポップス界のスター、デニス・ホー(44)の不屈の人生を描く米ドキュメンタリー映画「デニス・ホー ビカミング・ザ・ソング」が公開されている。自由を剥奪する不寛容な政治体制に対する闘いの足跡が活写されている。監督・脚本・制作を手掛けたスー・ウィリアムズ監督は「自由、司法の独立など民主主義の価値観が損なわれていく香港の現状とともに、デニスが抱く何かを信じる力を伝えたかった」と語る。

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 デニスは1977年生まれ。10代でカナダ・モントリオールに渡り、民主教育を受けた後、1996年に香港に戻った。折しも1997年には、一国二制度を50年間維持し、香港に高度な自治を認めるという約束で、香港がイギリスから中国に返還。そんな中、「アジアのマドンナ」と称されたアニタ・ムイの弟子の扱いを受け、2001年にデビュー。香港ポップス界でのスターの階段を駆け上がっていった。

2019年、囲み取材中に赤いペンキをかけられるデニス・ホー(c) Aquarian Works, LLC
2019年、囲み取材中に赤いペンキをかけられるデニス・ホー(c) Aquarian Works, LLC

 しかし、30歳ごろから自分のことばかりを歌う姿勢に自ら疑問を抱く。2012年、「私は同性愛者」と公表。「ありのままのデニス・ホー」に目覚めてアニタの影響下から離れてゆく。自己解放の後、目の当たりにしたのが、2014年の香港反政府デモ「雨傘運動」。一個人として政治運動に一身を投げうっていく。雨傘を手に街を占拠した若者たちとデモ制圧の警察隊との衝突、催涙弾、放水砲の各シーンや、行動を共にしたデニスが連行されるシーンなど臨場感がある。

■追われた音楽活動の場

 ニュース映像も取り込んでいるが、そこでデニスは「民主活動家」という肩書で登場している。一方で、歌手として、中国から排除され、大手ブランドからも背を向けられ、音楽活動の場を追われてしまう。彼女の価値観や信念を決定づけた第二の故郷ともいえるモントリオールのこじんまりしたステージで歌うデニス。歌声は、万感こもって涙で何度も途切れる。2019年6月、香港で逃亡犯条例改正に反対するデモが起きる。香港市民のアイデンティティ、自由を取り戻すため、デニスは再び街頭に立った――。

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「本当にスターかな?」