ロイヤルホスト 1号店・黒崎店 ロイヤルホールディングス/モータリゼーションや郊外の住宅開発に着目。米ロサンゼルス周辺で見られたロードサイドのレストランビジネスを展開へ(各社提供)
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ロイヤルホスト 1号店・黒崎店 ロイヤルホールディングス/モータリゼーションや郊外の住宅開発に着目。米ロサンゼルス周辺で見られたロードサイドのレストランビジネスを展開へ(各社提供)

 NHK料理番組の元ディレクターで、大阪万博のコンパニオンも務めた河村明子さん(73)は「前年に開催された万博の影響が大きい」と指摘する。大阪万博は「人類の進歩と調和」をテーマに70年3月から9月まで大阪府吹田市で開催。77カ国が参加し、約6千万人が足を運んだ。河村さんは言う。

「万博は、高度経済成長のハイライトといえる一大イベントでした。日本人の多くが外国の文化や暮らしに憧れていましたが、直接触れた初めての経験が万博だったのではないかと思います。これ以降、海外のものや海外にヒントを得たものが暮らしの中にどんどん入ってきました。71年生まれの商品にもそれが見てとれます」

■カラーテレビの効果

 商品ジャーナリストの北村森さん(54)は、カラーテレビの普及が関係しているとみる。普及率は66年が0.3%だったのに対し71年は42.3%。75年には90%を超える。

「71年はNHK総合テレビの番組が総カラーになった年です。さらに75年には広告費で、テレビが新聞を抜きトップに躍り出ます。カラーによって伝わる情報量が増え、消費者に刺さるCMの力もあって、商品がマスに押し上げられやすくなったのだと思います」(北村さん)

「キャラメルコーン~♪」

 東ハトが同商品の50周年のキャンペーンの主軸においたのは、発売当初から流れるおなじみのCMソングだ。今年3月、東京スカパラダイスオーケストラが曲をダンサブルにアレンジ。インスタのフィルター機能を使い、キャラメルコーンのキャラクターと一緒に歌って踊れるキャンペーンを実施している。

 キャラメルコーンはトウモロコシ粉を熱と圧力で膨らませ、キャラメルシロップをまぶして作る。開発のヒントになったのは、米国のポップコーンだ。当時、スナック菓子はしょっぱいものがほとんどだったため、逆をいく「甘さ」で勝負しヒットした。東ハト・マーケティング本部の前田雅也さんは言う。

「甘さに加え、サクサクした食感と、すうっととろける口溶けの良さも大事にしています。そうすることで、甘さが口の中にしつこく残らず、2個目、3個目と手が伸びるのです。一緒に入れている塩味の利いた皮付きピーナツが甘さを引き立て、香り付けにもなっています」

 キャラメルコーンは類似品がほとんど出てこないという。製法はシンプルだが、甘さ、食感、口溶けの良さが絶妙なバランスで成り立っており、簡単に再現ができないのだ。

 甘いスナック菓子は今でこそ「当たり前」になっているが、発売当時は「邪道」とする反発はなかったのだろうか。

「恐らく反発はあったと思います。ただし、東ハトの商品でロングセラーとして残っているものを見ると、ちょっと癖になる特徴的なものばかりです。来年50周年の『オールレーズン』はレーズンが他では見られないほどたっぷり入っていますし、2003年に発売した『暴君ハバネロ』は激辛菓子の先駆けでした。チャレンジングな部分がロングセラー商品には不可欠なのかもしれません」(前田さん)

 70年代は、公害など高度経済成長のひずみが顕在化した。「モーレツからビューティフルへ」「ディスカバージャパン」など時代の価値観の転換を感じさせる広告も現れた。71年に若い女性向けのファッション雑誌「non-no」が、その前年には「an・an」が創刊され、雑誌を手に旅をする「アンノン族」を生む。

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