マクドナルド1号店・銀座店 日本マクドナルド/1号店オープン時のハンバーガーの値段は80円。銀座の歩行者天国で食べ歩くことは「ファッション」になった(各社提供)
マクドナルド1号店・銀座店 日本マクドナルド/1号店オープン時のハンバーガーの値段は80円。銀座の歩行者天国で食べ歩くことは「ファッション」になった(各社提供)

 マクドナルドにミスタードーナツ、キャラメルコーンにノンノ。誰もが知っているお店や商品は、どれも50年前に誕生した。その理由を探ると、意外な真実が見えてきた。AERA2021年7月19日号の記事を紹介する。

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「初めてマクドナルドのハンバーガーを食べたのは、中学生のときでした。一張羅のワンピースを着て、家から片道1時間半かけて行きました。場所が銀座でしたので。テレビで人気ぶりを見て、どうしても食べたくて、近所の高校生に連れていってもらいました」

 都内に暮らす長石幸子さん(63)は半世紀前、米国のハンバーガーチェーン「マクドナルド」の日本1号店で食べたときの思い出をそう語る。店は、東京・銀座の三越百貨店1階にあった。

「ハンバーガーを食べること自体が初めて。外国の味がしました。何が入っているのか一枚一枚めくって確かめたほどです。翌日、学校で話すとみんなに取り囲まれました」(長石さん)

 マクドナルドの日本進出は1971年7月。今年、50周年を迎える。意外なことに、1号店は開店と同時に客が殺到したのかと思いきや、しばらく足踏みが続いた。多くの日本人にとってハンバーガーはなじみのない食べもの。しかも店は飲食のスペースはなくテイクアウトのみ。お客は立ち食いか、家に持ち帰るしかなかった。しかし、立ち食いは行儀が悪いと眉をひそめられる時代。「食習慣の壁」に阻まれた。

■ボーイスカウトが救う

 救世主となったのは、来日していた海外のボーイスカウトたちだった。1号店店長だった山迫毅さん(79)は、

「あの時の出来事は忘れません。彼らには本当に感謝しています」

 と回想する。彼らはマクドナルドを見つけるや歓声をあげて店に押し寄せた。ビッグマックやコーラを手に歩行者天国で頬張る姿が、日本の若者たちに「かっこよく」映り、人気に火がついた。ハンバーガーを食べることは、飲食にとどまらずアメリカ文化を味わうことでもあった。

ミスタードーナツ1号店・箕面パイロットショップ ダスキン/創業時は24時間営業で、ドーナツの値段は40円。初日は1時間に4千個を販売するほどの人気ぶりだった(各社提供)
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ミスタードーナツ1号店・箕面パイロットショップ ダスキン/創業時は24時間営業で、ドーナツの値段は40円。初日は1時間に4千個を販売するほどの人気ぶりだった(各社提供)

 マクドナルドがオープンした71年には、米国のドーナツチェーン「ミスタードーナツ」やファミリーレストランの「ロイヤルホスト」も開業した。この時期を起点に日本の外食産業は大きく市場を広げ、日本の食文化を変えていく。

 さらにこの年は、世界初のカップ麺「カップヌードル」や、当時日本一の高さを誇った京王プラザホテルも誕生した。高級アイスクリーム「レディーボーデン」をはじめ海外に関連した食品や、70年代の新しいライフスタイルに対応した商品も続々登場。これらが今年こぞって50周年を迎える。なぜ71年には多くのロングセラーが生まれたのか。半世紀にわたり、支持されてきた強さの秘訣(ひけつ)は何だろう。

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