「ろく月」の特製豚白湯らぁめんは一杯950円(筆者撮影)
「ろく月」の特製豚白湯らぁめんは一杯950円(筆者撮影)

 それから半年間、都内の豚骨ラーメンの有名店で修業をする。この店は地元・福島では食べたことのない豚骨ラーメンを提供していて、その味に衝撃を受けた。このとき、自分が独立するときの味の方向性も決まったという。

 独立の場所は佐川急便時代に担当していて土地勘のある浅草橋に決めていた。こうして13年9月、「麺 ろく月」はオープンした。お客さんにくつろいでもらえる店にしたいという思いで、「くつろぎ」を文字って「ろく月」と名付けた。

「無化調豚骨」(化学調味料不使用)をうたい文句にして、修行先のラーメンをベースに無化調でラーメンを仕上げた。これがなかなか苦戦した。さらに、浅草橋には知り合いも多かったが、店には全然来てくれなかったという。

「『豚骨のくせにパンチないじゃん』とさんざん言われました。口コミもマイナスなものばかりで本当に苦労しました。あまりに『パンチがない』と言われるので、しまいには店の前に『うちはパンチのないラーメンです』と書いて貼り出しました」(湯田さん)

「ろく月」店主の湯田達巳さん。素材へのこだわりは人一倍(筆者撮影)
「ろく月」店主の湯田達巳さん。素材へのこだわりは人一倍(筆者撮影)

 無化調でラーメンを作ることは本当に難しかった。ラーメン修行歴半年での開業で、無知だったからこそチャレンジしたようなものだった。そして何より、経営的な視点が身についていないことが大きな打撃になる。

 当時の「ろく月」では、無化調豚骨ラーメンを600円で提供。原価率は35%以内を目指すべきだといわれているが、「ろく月」では55~57%までかけていたのだ。これでは店が成り立たない。オープンから半年後、ついに運転資金が尽きた。湯田さんは住んでいた家の賃貸契約を解約し、店で寝泊まりを始めた。

 厳しい経営状態は続いたが、ラーメンの味は徐々にブラッシュアップをし、理想の形になってきた。オープン翌年の14年末には、業界最高権威ともいわれる「TRYラーメン大賞」の新人賞(豚骨部門)を受賞した。それでも、売り上げは上がるも利益の全く出ない状態が続き、店での寝泊まりは3年半続いた。

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