お膝元「梅小路公園」で復元された京都市電27号。大きな救助網やブリル21E型単台車の構造が良く判る。現在はリチウムイオン電池動力方式で動態保存されている。(撮影/諸河久:2006年7月1日)
お膝元「梅小路公園」で復元された京都市電27号。大きな救助網やブリル21E型単台車の構造が良く判る。現在はリチウムイオン電池動力方式で動態保存されている。(撮影/諸河久:2006年7月1日)

 次のカットが、お膝元の京都市梅小路公園で1994年から動態保存されているN電27号。2014年にリニューアル改造を受け、リチウムイオン電池動力方式に改造された。休祭日や夏休みに運行されており、体験乗車で往時の雰囲気を十分に楽しめる。

 N電にまつわる朗報をお伝えする。1961年7月の北野線廃止以来、京都市内・平安神宮で保存されてきたN電2号が、2020年3月19日に重要文化財指定に答申された。路面電車としては初めての快挙で、拍手を送りたい。

「スプレーグ式電車」は1890年の第3回内国勧業博覧会に出展された。「Tokyo Electric Light Company(東京電燈会社)」のエンブレムが腰羽目に大きく描かれていた。(所蔵/諸河久)
「スプレーグ式電車」は1890年の第3回内国勧業博覧会に出展された。「Tokyo Electric Light Company(東京電燈会社)」のエンブレムが腰羽目に大きく描かれていた。(所蔵/諸河久)

路面電車の「始祖」は空襲で焼失

 次は第3回内国勧業博覧会に出展された「スプレーグ式電車」の写真。車体と台車は米国ブリル社製、スプレーグ製15馬力の電動機を一基搭載しており、観覧者を乗せて会場に敷設された約400mの軌道を往復した。二両輸入された一両を東京市電が引き継ぎ、路面電車の始祖として青山車庫に保存されていたが、1945年の空襲で焼失した。

 余談になるが、戦火により「スプレーグ式電車」の木造車体は焼尽したが、焼損した台車と電動機が荒川車庫の片隅に保管されていた。これらの遺物は歴史的価値を解さない当局の方針で廃棄処分されることになった。

 次のカットが「スプレーグ式電車」が装備していた単台車で、学生時代の筆者が荒川車庫で対面している。1890年に渡来してから、76年の歳月が流れた1966年の撮影だった。この話の続きは次号で。

戦火で焼損した台車は都電荒川車庫の片隅に保管されていた。ブリル社の刻印がある台車はブリル21E型よりも古いタイプで、軸距も短かった。(撮影/諸河久:1966年2月16日)
戦火で焼損した台車は都電荒川車庫の片隅に保管されていた。ブリル社の刻印がある台車はブリル21E型よりも古いタイプで、軸距も短かった。(撮影/諸河久:1966年2月16日)

■撮影:2008年5月18日

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諸河久

諸河久

諸河 久(もろかわ・ひさし)/1947年生まれ。東京都出身。カメラマン。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。「諸河 久フォト・オフィス」を主宰。公益社団法人「日本写真家協会」会員、「桜門鉄遊会」代表幹事。著書に「オリエント・エクスプレス」(保育社)、「都電の消えた街」(大正出版)「モノクロームの東京都電」(イカロス出版)など。「AERA dot.」での連載のなかから筆者が厳選して1冊にまとめた書籍路面電車がみつめた50年 写真で振り返る東京風情(天夢人)が絶賛発売中。

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