焼きあごの美味しさをわかりやすく表現することを目指した(筆者撮影)
焼きあごの美味しさをわかりやすく表現することを目指した(筆者撮影)

 紆余曲折の後、大リニューアルを経て、「焼きあご塩らーめん」が完成する。タレ、スープ、油のすべてを変え、魚の香ばしい香り溢れる一杯に辿り着いた。

「大切なのは、食べ手が『どう美味しいかが表現しやすいこと』だと気づいたんです。ラーメンが美味しいことは当然で、その中で焼きあごの美味しさをわかりやすく表現することが何より大事だったんです」(高橋さん)

 リニューアル後の客入りと反応を見て、その思いは確信に変わった。1年間で売り上げは倍になり、いよいよ「たかぎ」は人気店に成長した。

 高橋さんの飛躍はそれにとどまらなかった。茗荷谷では売り上げが頭打ちになると、さらに高みを目指すために都心に出ることにしたのだ。

「どうせやるなら世界を目指したいという思いも強く、そのためには都心に出て“ブランド”を作るべきだなと思ったんです。そこで思い切って新宿に移転することにしました。安く空いている物件が歌舞伎町にあって、ちょっと怖いけどこのラーメンなら人を呼べるかなと挑戦することにしました」(高橋さん)

 こうして、15年2月「焼きあご塩らーめん たかはし」はオープンした。月200万円からスタートした売り上げは9カ月で1000万円を突破するまでに急成長。一気に新宿の人気店になった。

 筆者もオープン当時に食べに行ったが、高橋さんが店の前でお客さんに対して笑顔でずっと頭を下げているのを見て強く感動した記憶がある。

「売り上げが上がっても不安はしばらく続きました。私には『理想の姿』があって、それとのギャップを常に感じていました。やるべきことはまだまだたくさんあるので、それを全てやってから成功かどうか判断しようと思っています」(高橋さん)

「ラーメン以外のことにも目を配れる人」と柴田さんは言う(筆者撮影)
「ラーメン以外のことにも目を配れる人」と柴田さんは言う(筆者撮影)

 高橋さんの理想の高さは、そのまま店の成長に繋がる。店舗展開も積極的に行い、今では銀座や恵比寿、上野にも出店。地元・新潟のあごだしの美味しさを広く伝えている。

「MANNISH」の柴田さんは、実は怪我のリハビリ中に「たかはし」を手伝っていたことがあった。その時に高橋さんの人間性に触れ、感銘を受けたという。

「大雪の日に杖を突いて新宿を歩いていたら、ラーメン屋の前で女性が笑顔でビラ配りをしていたんです。それが高橋さんでした。その後少し働かせてもらいましたが、社長自らこういうことができるってすごいなと思います。とても勉強家ですし、ラーメン作り以外のことにもしっかり目を配れる素晴らしい方だと思っています」(柴田さん)

 高橋さんも柴田さんに一目置いている。

「柴田さんは創業当時、の手も借りたいほど忙しい時期に手伝ってくれていました。オペレーションのことなどいろいろと教えてくれましたね。いろんな名店を渡り歩く中でそれぞれのいいところを身につけて、その集大成として『MANNISH』のラーメンを完成させています。すごく器用ですね」(高橋さん)

 困難に打ち勝ち、ラーメンを諦めずに続けた二人。先に描くものをしっかり持っていたからこそ諦めずにいられたのだと思う。(ラーメンライター・井手隊長)

○井手隊長(いでたいちょう)/大学3年生からラーメンの食べ歩きを始めて19年。当時からノートに感想を書きため、現在はブログやSNS、ネット番組で情報を発信。イベントMCやコンテストの審査員、コメンテーターとしてメディアにも出演する。AERAオンラインで「ラーメン名店クロニクル」を連載中。Twitterは@idetaicho

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井手隊長

井手隊長(いでたいちょう)/全国47都道府県のラーメンを食べ歩くラーメンライター。Yahoo!ニュース、東洋経済オンライン、AERA dot.など年間100本以上の記事を執筆。その他、テレビ番組出演・監修、イベントMCなどで活躍中。ミュージシャンとしてはサザンオールスターズのトリビュートバンド「井手隊長バンド」などで活動中。本の要約サービス フライヤー 執行役員、「読者が選ぶビジネス書グランプリ」事務局長も務める。

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