たき火を挟んで対談する竹内さん(左)と荻田さん。この日が初対面だった/1月24日、都内で(撮影/写真部・小黒冴夏)
たき火を挟んで対談する竹内さん(左)と荻田さん。この日が初対面だった/1月24日、都内で(撮影/写真部・小黒冴夏)

■自問自答の繰り返し

竹内:登山はひと続きの「輪」だと思っています。ベースキャンプをスタートして頂上を経由し、ベースキャンプに帰ってくる。頂上はゴールではありません。帰ってきたときに自己完結の輪が閉じる。大切なのは登頂ではなく、帰ってくることです。

荻田:途中で引き返す場合でも同じですよね。引き返す決断をするのは、詰将棋と一緒だと思っています。詰むか詰まないか理屈で決まるように、進むかやめるかに感情は関係なくて、認めて受け入れるしかない。

竹内:同じですね。「勇気ある撤退」なんておかしな話で、登り続けるか引き返すかは、自分の体調や天候、時間、ルートの状況から考える計算問題です。

荻田:行きたい感情の前に明らかな現実がある。とはいえ、もしかしたらまだ手はあるんじゃないかと考えます。私自身、打てない手を打てるかのように誤解しそうになることがあります。「桂馬」が急にバックするような。山だと、頂上という明確で魅力的な目標がある分、感情が暴走しませんか?

荻田泰永さん提供
荻田泰永さん提供

竹内:感情が暴走するには酸素が必要なんだと思う(笑)。標高8千メートルの酸素濃度は地上の3分の1程度です。このゾーンに入ると感情が薄れてくる。行くにしろ、引き返すにしろ、自然とシンプルに判断するしかできなくなります。

荻田:なるほど。理屈が感覚にまで落とし込まれているのかな。

竹内:そうかもしれないですね。

荻田:極地はめちゃくちゃ考えますよ。自問自答の繰り返し。それでも、帰ってこなければ自己完結しないことは同じですね。

竹内:下りてこなければ次の山に行けない。そう考えると、登り始めが下山への一歩かもしれない。頂上はゴールではないし、登りは途中で断念できるけれど、下りは断念できない。これって、普段の生活でも同じですよね。「下山」すること、ちゃんと帰ってくることで自己完結の輪を閉じて、次へ向かうことができるんだと思います。

(構成/編集部・川口穣)

AERA 2021年2月15日号

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川口穣

川口穣

ノンフィクションライター、AERA記者。著書『防災アプリ特務機関NERV 最強の災害情報インフラをつくったホワイトハッカーの10年』(平凡社)で第21回新潮ドキュメント賞候補。宮城県石巻市の災害公営住宅向け無料情報紙「石巻復興きずな新聞」副編集長も務める。

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