新緑の嵐山を背景に嵐山駅を発車した四条大宮行きの嵐電121型。画面右端では次発の111型が発車を待っていた。当時の嵐電は丸型の終端駅で裏返す構造の方向板を使用していた。「コダック・エクタクロームX」カラーリバーサルフィルム(ISO感度64)で撮影。(撮影/諸河久 1968年3月31日)
新緑の嵐山を背景に嵐山駅を発車した四条大宮行きの嵐電121型。画面右端では次発の111型が発車を待っていた。当時の嵐電は丸型の終端駅で裏返す構造の方向板を使用していた。「コダック・エクタクロームX」カラーリバーサルフィルム(ISO感度64)で撮影。(撮影/諸河久 1968年3月31日)

 写真のように終点嵐山駅構内がゆったりと広いのは、嵐山駅から明智光秀の連歌の会でお馴染みの愛宕神社への参詣客を運ぶ「愛宕山鉄道」が出ていたことに起因する。かつての愛宕山鉄道は、画面右端のホームを起点にして手前に折返すように発車し、大きく北側に左折して清滝駅に向かっていた。

 嵐電と同じ京都電燈傘下の愛宕山鉄道は、1929年に嵐山~清滝3400mを開業。同時期に清滝駅から接続する愛宕山ケーブル2000mも開業した。1944年に「不要不急路線」に指定され、国策によって廃止された路線だ。戦後も復旧することなく、現在も途中の清滝トンネルを始めとする線路跡を残している。

 こうして写真で振り返るだけでも、京都・洛西の美しさが随所にあらわれている。

■撮影:1975年11月22日

◯諸河 久(もろかわ・ひさし)
1947年生まれ。東京都出身。写真家。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。著書に「都電の消えた街」(大正出版)、「モノクロームの軽便鉄道」(イカロス出版)など。2020年5月に「京阪電車の記録」をフォト・パブリッシングから上梓した。

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諸河久

諸河久

諸河 久(もろかわ・ひさし)/1947年生まれ。東京都出身。カメラマン。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。「諸河 久フォト・オフィス」を主宰。公益社団法人「日本写真家協会」会員、「桜門鉄遊会」代表幹事。著書に「オリエント・エクスプレス」(保育社)、「都電の消えた街」(大正出版)「モノクロームの東京都電」(イカロス出版)など。「AERA dot.」での連載のなかから筆者が厳選して1冊にまとめた書籍路面電車がみつめた50年 写真で振り返る東京風情(天夢人)が絶賛発売中。

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