店内のコンセプトは「ジャマイカ×和」だという。(筆者撮影)
店内のコンセプトは「ジャマイカ×和」だという。(筆者撮影)

 門を叩いたのは、末広町にあった無化調ラーメンの名店「ラーメン創房 玄」(現在は閉店)である。修行はたった8カ月間だったが、ここには後に有名店の店主になる兄弟子がたくさんいた。大きな刺激を受けながら、基本を身につけた。

 兄弟子の小野里博さんが初台に「ラーメン創房 玄 初台店」(のちの「嗟哉(あなや)」)を開くことになり、町田さんはオープニングスタッフとして店を移ることにする。町田さんもいつか独立することを夢見て、新規店がオープンする様子を見ておきたかったのだという。

 ここでは自家製麺を学んだ。小野里さんと製麺機を見に行ったり、名店が使う小麦粉を調査したりして、美味しい麺を追求していった。

 そして町田さんは独立に向け動き始める。地元である練馬区を盛り上げたいという思いから、江古田に出店することにした。買い物や観光のついでではなく、自分のラーメンのためだけに客を呼ぶために、商店街の中ではなく、少し離れたところに出店した。大好きなレゲエを聴きながらラーメンを作りたいと、店はジャマイカンな内装にし、BGMはレゲエにした。

ヤマンの「らはめん」は一杯770円。旨味がじわじわと押し寄せる(筆者撮影)
ヤマンの「らはめん」は一杯770円。旨味がじわじわと押し寄せる(筆者撮影)

 こうして03年10月、「ラハメン ヤマン」はオープンした。「ラハメン」という言葉は、「もしジャマイカにラーメンがあったとしたら」を想像して付けた造語。そして「ヤマン」はジャマイカの挨拶「ヤーマン」から借りた。ラーメン店らしからぬ外観だったこともあり、オープン当初の客入りはかなり厳しいものだった。

「ラーメン屋だと思われたくなかったんですよね。勇気を出して入ってきてくれた人にだけ食べてほしいと思っていたんです。いざ食べてみたら和風なラーメンでサプライズ!みたいな。宣伝もまったくしませんでしたね」(町田さん)

 客入りはふるわず、このままでは厳しいと「ラハメン」というのぼりを店の前に出してみることに。すると少しずつお客さんが集まり、次第に口コミが広がって取材も来るようになった。

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「こんな店内なのに平ざる!」