TRAILER/アウトドア用品メーカーのスノーピークと組んで、木の内外装のトレーラー「モバイルハウス住箱(じゅうばこ)」をデザイン。2016~17年に隈さんの地元・神楽坂で期間限定ビストロを経営した(撮影/清野由美)
TRAILER/アウトドア用品メーカーのスノーピークと組んで、木の内外装のトレーラー「モバイルハウス住箱(じゅうばこ)」をデザイン。2016~17年に隈さんの地元・神楽坂で期間限定ビストロを経営した(撮影/清野由美)

──逆に今後の都市や社会にとって不要なものは何でしょうか。

 コロナ禍では、夜の街の人々が真っ先に切り落とされましたが、本当にそれでよかったのか疑問です。それよりも、超高層タワーの方がよほど不要不急だよ、と僕は思えてしまうんですよね。

──コロナ禍で経済はあきらかに疲弊し、社会格差はますます拡大して、社会は閉塞感に包まれています。経済の活力を支えていくハードウェア、つまり建築物は、やはり必要では?

 必要な部分も、もちろんあります。ただ、東京は何をあきらめ、何を切り落としていくか、真剣に考えなければならないフェーズに来ています。

 戦後の日本の経済発展のエンジンは、雇用も含めて、建設産業と自動車産業でした。たとえば建設産業では、業務と居住を完全に切り分けて、都市とその周縁を分断した。端的にいうと、その方が儲かったからです。建築基準法のような法律も、オフィスはオフィス、住居は住居と、機能を完全に切り離して、両者の融合を阻んできた。今になって、その不自然さが噴出しています。実際、感染者が増えた時に、都市は受け入れのキャパ不足にヒヤヒヤし通しだし、家ではテレワークをしたくとも、そのスペースがない。

 これからは建物の用途を決めつけずに、オフィスを住まいにしたり、あるいは感染症が流行した時には病床にしたりと、その時々のコンテクストや事情によって、機能を柔軟に変えていく都市が生き残っていくと思います。東京にはもう十分ハードがあるので、ソフトを変えていかないとダメです。

生前、「東京計画1960」で都市構造の改革を提唱した建築家の丹下健三さん。海上の都市計画案として耳目を集め、新しい街のグランドデザインを描いたが、実現しなかった(c)朝日新聞社
生前、「東京計画1960」で都市構造の改革を提唱した建築家の丹下健三さん。海上の都市計画案として耳目を集め、新しい街のグランドデザインを描いたが、実現しなかった(c)朝日新聞社

■木造の街並みを温存

──国立競技場、高輪ゲートウェイ駅といった大建築に携わる一方で、近年の隈さんはシェアハウスの大家さんになったり、木の内外装のトレーラーを設計して期間限定の屋台ビストロを経営してみたりと、「小さい建築」に取り組んでいます。

 建築家として矛盾を抱える中で、何かを発信するんだったら、自分でリスクを負わないと誰にも届かないな、と思っているから。

 昭和の時代に、丹下健三さんが発表した「東京計画1960」というものがありました。東京湾を埋め立てて、今でいうスマートシティーのような海上都市を作るという、拡大の時代の極致のような絵でした。

 僕は、この経済縮小の時代に「東京計画2020」を描こう、と。大きな建築は不要で、路地や横丁のある木造低層の街並みを温存して、そこに人が自由に生きるための最先端のテクノロジーを埋め込めばいい。新しくスマートシティーを造成する必要なんて、ないんです。

東京・渋谷も近年、高層ビルが林立し、変貌を遂げた街の一つ。コロナ禍では、ひっそりとした渋谷の街の上空を旅客機が飛んだ(撮影/編集部・井上和典)
東京・渋谷も近年、高層ビルが林立し、変貌を遂げた街の一つ。コロナ禍では、ひっそりとした渋谷の街の上空を旅客機が飛んだ(撮影/編集部・井上和典)

※AERA 2020年10月26日号