都電時代の「最も短い区間」はどこ? 70年前傷みながらも戦後東京を支えた木造車両

路面電車がみつめた50年前のTOKYO

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2020/10/17 07:00

定点観測のポイントとなった緑色の日除けがある「宇田川薬局」の建物を背景に入れ、70年前の今井橋風景をイメージして撮影。画面上空の高架橋は新大橋通り。(撮影/諸河久:2020年10月2日)
定点観測のポイントとなった緑色の日除けがある「宇田川薬局」の建物を背景に入れ、70年前の今井橋風景をイメージして撮影。画面上空の高架橋は新大橋通り。(撮影/諸河久:2020年10月2日)

 次の現況写真が今井橋終点跡と推察される一コマ。画面中央の新大橋通り高架橋の背後、緑色の日除けがある建物が現在の「宇田川薬局」だ。都電の後継として1968年まで活躍したトロリーバス101系統(今井~上野公園)は今井終点に設置されたロータリーで転向しており、近隣はトロバスのターミナルとして賑わっていた。

 今回、東京都交通局工務課が1952年5月に製図した「東荒川 今井橋間線路平面図(1/300)」を閲覧することができ、本編の記述で大変参考になった。平面図によると、画面左手前40mくらいの地点から全長140mの電車交換用の複線が所在した。電車交換といえば「東荒川と今井橋の双方を出た都電は、松江~一之江に設置された複線区間で離合していた」という通説があった。平面図を精査すると件の複線区間は、西一之江~一之江343mの停留所間に敷設されていたことが、新たに判明した。

 1950年12月に江本氏が撮られた写真には、複線区間終端の一之江で対向する東荒川行きの到着を待つ都電が写っている。いっぽう、宮松金次郎氏が1952年3月に撮られた西一之江付近の複線区間の写真を観察すると、東側に敷設された複線軌道は写っているが、頭上の架線が撤去されていることに気が付いた。運転最終期には途中交換が廃止され、一列車のみが運行するダイヤになっていたのだろう。

トロバス開業工事で折返し地点が変更された今井橋停留所の一コマ。廃止まで二か月を切っていたが、老朽化した設備の発展的解消を目前にする乗務員の表情は明るい。右の軍手姿が運転士で、左の車掌はショルダーバックを携行している。(撮影/宮松金次郎:1952年3月30日)
トロバス開業工事で折返し地点が変更された今井橋停留所の一コマ。廃止まで二か月を切っていたが、老朽化した設備の発展的解消を目前にする乗務員の表情は明るい。右の軍手姿が運転士で、左の車掌はショルダーバックを携行している。(撮影/宮松金次郎:1952年3月30日)

■移設された今井橋終点

 次のカットは1952年に宮松氏が撮られた今井橋終点で休む都電と乗務員の一コマ。都電の右後ろには、終点の証である木材による車止めが写っている。二年前に江本氏が撮られた終点風景と異なることは一目瞭然だ。宮松氏が撮られた今井橋終点は、本来の今井橋停留所から東荒川方に約70m移転した地点と推測した。画面右端に写る複線用架線柱で、この地点が電車交換線の設置場所であったことが判るだろう。

 移転の理由は1951年から開始されたトロリーバス開業付帯工事だ。1951年5月に今井無軌条電車営業所が開設され、付帯工事は1952年2月から開始された。今井橋終点付近にトロリーバスの転向所(ロータリー)や今井営業所庁舎の建設用地が必要となり、既存の軌道を手前で切り詰め、操車所などの設備を撤去して敷地を確保したのだろう。

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鉄橋を渡る光景も…

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