1949年、都電6000型を忠実にコピーした500型が川崎市電に現れた。当初は集電装置にビューゲルが使われおり、更新修繕で方向幕が大型化された。成就院前~小田栄町(撮影/諸河久:1965年11月3日)
1949年、都電6000型を忠実にコピーした500型が川崎市電に現れた。当初は集電装置にビューゲルが使われおり、更新修繕で方向幕が大型化された。成就院前~小田栄町(撮影/諸河久:1965年11月3日)

■流行の6000型スタイルと金太郎の腹掛け

 1950年代、都大路で活躍する600余両の6000型スタイルは「東京で流行(はや)っている路面電車を我が街にも!」のフレーズがあったのか、1949年の川崎市電を皮切りに、秋田市電、名古屋鉄道・岐阜市内線、土佐電鉄(現とさでん交通)に都電6000型の同系車が登場するところとなった。

 現在も、東京メトロ日比谷線13000系と日比谷線に乗り入れる東武鉄道70000系が共通設計の姉妹車として注目を浴びている。共通設計にすれば設計費や製造費、保守部品の共通化によるコストダウンが図れる。また、現有車両としての使用実績が、許認可の際に有利に働くなど、多くのメリットが発生することが考えられる。

 では、都電の模倣で、どのくらいコスパが図れたのか? 半世紀以上昔のことで判明しないが、当該車両の許認可申請時に「東京では600両も走っている」という実績が、ポジティブに働いたことは確かだろう。

■使い勝手の多様さに富んでいた地方版6000型

 川崎市交通局(川崎市電)に導入された500型の写真も紹介したい。この500型は2両が在籍し、都電6000型を忠実にコピーした存在だった。車体長や車体幅は6000型の12300mm・2210mmを踏襲しており、台車も都電と同じD10型を使っていた。日本鉄道自動車で1949年に製造され、後年の更新修繕で方向幕が大型化された。

 川崎市電は営業距離6700m、軌間1435mm、電車線電圧600Vで、1969年4月に廃止されている。

千秋公園の濠端を走る秋田市電60型。金太郎の腹掛けスタイルの都電旧塗装とトロリーポール集電は、1950年代の都電6000型を彷彿とさせてくれた。公園前~秋田駅前 (撮影/諸河久:1965年7月30日)
千秋公園の濠端を走る秋田市電60型。金太郎の腹掛けスタイルの都電旧塗装とトロリーポール集電は、1950年代の都電6000型を彷彿とさせてくれた。公園前~秋田駅前 (撮影/諸河久:1965年7月30日)

 そして本州最北の路面電車である秋田市交通局(秋田市電)60型。秋田市電は公営交通の中で、最後までトロリーポールによる集電を行っていた。都電の旧塗装だったグリーンとクリームのツートーンに金太郎の腹掛けスタイルで、1950年代の東京にタイムスリップしたと錯覚するようだった。60型は4両が在籍し、車体長は12300mm、車体幅は2223mmと僅かに長かった。台車は日立KBD-7b型を履き、1951年日立製作所の製造。秋田市電の廃止後は南海電鉄・和歌山軌道線に転属した。

 秋田市電は営業距離7300m、軌間1067mm、電車線電圧600Vで、1966年4月に廃止されている。

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