日比谷線新駅開業で変貌する「虎ノ門」 55年前は都電で賑わう官庁街だった (2/3) 〈AERA〉|AERA dot. (アエラドット)

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日比谷線新駅開業で変貌する「虎ノ門」 55年前は都電で賑わう官庁街だった

連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」

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乗車した9系統浜町中ノ橋行きの最後部から撮影した6系統新橋行きと3系統飯田橋行きの都電。6系統は画面手前の分岐器を右折して新橋に向かう。溜池~虎ノ門(撮影/諸河久:1964年10月24日)

乗車した9系統浜町中ノ橋行きの最後部から撮影した6系統新橋行きと3系統飯田橋行きの都電。6系統は画面手前の分岐器を右折して新橋に向かう。溜池~虎ノ門(撮影/諸河久:1964年10月24日)

■虎ノ門停留所の表記に「虎の門」

 冒頭の写真は、虎ノ門交差点の南側にあたる桜田通り安全地帯から北側の文部省(現文部科学省)の庁舎をバックに撮影。外濠通りの溜池線から桜田通りの虎ノ門線に分岐合流する3系統の都電が秋の陽に映える一瞬を捉えた一コマだ。背景の文部省庁舎の右隣が大蔵省(現財務省)で、その隣に外務省庁舎が連なっている。ちなみに、写っている都電は杉並線で使われていた2000型で、同線の廃止後、改軌改造を受けて三田車庫に転属した。それまでの3系統は戦前製の700型の独断場だったが、この2000型と交代して退役している。

 画面中央から右側にかけて虎ノ門停留所の掲示物が写っている。正式な停留所名は「虎ノ門」なのだが、何故か一番大きく掲示された中央寄り左側の停留所名の表記が「虎の門」になっており、平仮名が用いられている。現在ならSNSなどで当局に疑問を呈し、即刻統一表記に是正されるのであろうが、どうして混在しているのか、いまだに疑問のままだ。

 ここの近景は虎ノ門交差点の南側横断歩道上からスナップした。都電の背景にあたる三角地帯には交番があったことを記憶していたが、現在は地下歩道が建設中で、はなはだ見栄え悪かった。背景にあたる文部科学省、財務省、外務省の各庁舎は「50年一日のごとく」その外観が変わらないのが嬉しかった。

虎ノ門交差点溜池方向の近景。半世紀の年月は景色を大変貌させていた。旧景右端に写っていた国立教育会館も解体され、跡地の背後には霞が関ビルが威容を見せている。(撮影/諸河久:2020年1月16日)

虎ノ門交差点溜池方向の近景。半世紀の年月は景色を大変貌させていた。旧景右端に写っていた国立教育会館も解体され、跡地の背後には霞が関ビルが威容を見せている。(撮影/諸河久:2020年1月16日)

 別カットは浜町中ノ橋行きの9系統の都電後部から写した一コマだ。前述のように9系統は1963年10月の迂回運転で、青山一丁目を右折して溜池・虎ノ門・桜田門経由で浜町に向かうこととなった。続行する6系統新橋行きが信号待ちするシーンで、7500型のツインヘッドライトの光に軌道が映える瞬間を切り撮った。背景左側にはナショナル金銭登録機の社屋やアメリカ大使館文化情報局の建物が写っている。右端の建物が1963年に竣工した国立教育会館だった。

 近景は交差点北側の歩道から溜池方向を撮影した。背景の建造物は大変貌を遂げているのがおわかりになるだろう。左側の白い建物が14階建ての虎の門三井ビルディング。その右隣が16階建ての商船三井ビルで、それぞれ1972年と1979年に竣工している。画面中央には外堀通り千代田区霞が関三丁目歩道橋が敷設されている。旧画面右端の国立教育会館の建物は今世紀に入って解体され、その背景には1968年4月に竣工した36階建ての霞が関ビルが写っている。



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