溜池線から虎ノ門線に分岐合流する3系統品川駅前行きの都電。背景は1931年に竣工した文部省(現文部科学省)のシックな庁舎。溜池~虎ノ門 (撮影/諸河久:1965年9月11日)
溜池線から虎ノ門線に分岐合流する3系統品川駅前行きの都電。背景は1931年に竣工した文部省(現文部科学省)のシックな庁舎。溜池~虎ノ門 (撮影/諸河久:1965年9月11日)

 東京は五輪イヤーに突入した。前回の東京五輪が開かれた1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに当時を振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。今回は東京メトロ・日比谷線「虎ノ門ヒルズ駅」の開業が待たれる虎ノ門界隈を巡る都電だ。

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 なぜ、虎ノ門駅ではなく「虎ノ門ヒルズ」駅なのか。

 1964年に東京メトロ・日比谷線が全線(北千住~中目黒)開業して以来、56年ぶりの新駅となる「虎ノ門ヒルズ」駅。同線の神谷町駅と霞ケ関駅の間に今年6月、開業を予定している。東京五輪開幕にあわせて、様々なイベントが催されるであろう。

 観光地や施設が駅名になるのは比較的めずらしい。「とうきょうスカイツリー」駅もあるが、あれはもともとあった「業平橋」駅を改称したもので、新たに駅を開設したわけではない。虎ノ門駅と虎ノ門ヒルズ駅は連絡通路を経由して乗換えられるという。だったら、異なる駅名で混乱を招くより「虎ノ門」駅でよかったのでは、と思うのは、きっと筆者だけではないだろう。

虎ノ門交差点南側横断歩道から撮った近景。旧景と変わらぬ外観を見せる文部科学省、財務省、外務省の庁舎。 (撮影/諸河久:2020年1月16日)
虎ノ門交差点南側横断歩道から撮った近景。旧景と変わらぬ外観を見せる文部科学省、財務省、外務省の庁舎。 (撮影/諸河久:2020年1月16日)

■都電で賑わった虎ノ門

 現状を把握しておこう。桜田通り(国道1号線)と外濠通りが交差する虎ノ門交差点は外濠通りの下に東京メトロ・銀座線が走り、桜田通りの下には同・日比谷線が走っている。銀座線は虎ノ門駅があるが、日比谷線には交差点の近辺に駅がなく、次駅の神谷町まで通過してしまう。虎ノ門駅の周辺には財務省を始めとする官庁街と、霞ヶ関ビルに象徴されるオフィス街を擁していることもあり、銀座線は朝夕の通勤客でごった返す。

 4月には交差点の南側に複合施設である「虎ノ門ヒルズビジネスタワー」の開業が予定されている。その飲食街「虎ノ門横丁」には、話題となりそうな多くの飲食店が入居する。同施設への地下通路アクセスと銀座線への乗換えをはかるため、桜田通りに日比谷線「虎ノ門ヒルズ駅」の開設が計画され、本年6月に開業する運びとなった。

 半世紀前の虎ノ門界隈は、桜田通りの虎ノ門線を走る8系統(中目黒~築地)と外濠通りの溜池・蓬莱橋線を走る6系統(渋谷駅前~新橋)が交差。溜池線から虎ノ門線に分岐合流する3系統(品川駅前~飯田橋)も走る繁華な交差点だった。さらに、1963年10月からは青山線一部廃止による迂回運転で、9系統(渋谷駅前~浜町中ノ橋)が加わることになった。このため、溜池方の交差点手前から左に分岐して虎ノ門線に合流する連絡線が敷設され、四系統のシングルナンバーの都電が行き交うジャンクションとなった。

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諸河久

諸河久

諸河 久(もろかわ・ひさし)/1947年生まれ。東京都出身。カメラマン。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。「諸河 久フォト・オフィス」を主宰。公益社団法人「日本写真家協会」会員、「桜門鉄遊会」代表幹事。著書に「オリエント・エクスプレス」(保育社)、「都電の消えた街」(大正出版)「モノクロームの東京都電」(イカロス出版)など。「AERA dot.」での連載のなかから筆者が厳選して1冊にまとめた書籍路面電車がみつめた50年 写真で振り返る東京風情(天夢人)が絶賛発売中。

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