■日比谷濠を背景にした黄昏の都電

 最後のカットが、晴海通りを桜田門方面から日比谷公園にやってくる11系統と9系統の都電だ。黄昏が迫る画面右側には、日比谷濠と江戸城の石垣が写っている。この光景は1968年9月に都電が廃止されたことを除けば十年一日で、現在もほぼ不変である。

皇居の杜を背景にして晴海通りを走る11系統月島新佃島行き都電。その後ろを9系統浜町中ノ橋行きが続行する黄昏時の一コマ。桜田門~日比谷公園(撮影/諸河久:1964年5月20日)
皇居の杜を背景にして晴海通りを走る11系統月島新佃島行き都電。その後ろを9系統浜町中ノ橋行きが続行する黄昏時の一コマ。桜田門~日比谷公園(撮影/諸河久:1964年5月20日)

 かつて日比谷交差点を賑わせた都電にかわって、日比谷地区には地下鉄網が縦横無尽に走っている。日比谷の名を冠した東京メトロ・日比谷線が晴海通りの真下を走り、日比谷通りの下は東京メトロ・千代田線と都営地下鉄・三田線が並走して走る。少し位置がずれるが、日比谷濠の下を東京メトロ・有楽町線、日比谷公園の中央を東京メトロ・丸の内線が横断している。

「もし都心部に都電が残っていたら」という仮説は、観光目的で走らせるのは別として、全くのノスタルジーだと思う。前述の地下鉄各線の輸送力を鑑みれば、路面電車の輸送力では逆立ちしても及ばないからである。

 メガシティとなった東京の人の流れの凄さを実感している昨今だ。

■撮影:1964年1月1日

◯諸河 久(もろかわ・ひさし)
1947年生まれ。東京都出身。写真家。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経て「フリーカメラマンに。著書に「都電の消えた街」(大正出版)、「モノクロームの私鉄原風景」(交通新聞社)など。2019年11月に「モノクロームの軽便鉄道」をイカロス出版から上梓した。

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諸河久

諸河久

諸河 久(もろかわ・ひさし)/1947年生まれ。東京都出身。カメラマン。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。「諸河 久フォト・オフィス」を主宰。公益社団法人「日本写真家協会」会員、「桜門鉄遊会」代表幹事。著書に「オリエント・エクスプレス」(保育社)、「都電の消えた街」(大正出版)「モノクロームの東京都電」(イカロス出版)など。「AERA dot.」での連載のなかから筆者が厳選して1冊にまとめた書籍路面電車がみつめた50年 写真で振り返る東京風情(天夢人)が絶賛発売中。

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