淡路町交差点で右にカーブを切る37系統三田行きの都電。交差点を直進する両国橋線には25系統日比谷公園行が発車を待っている(撮影/諸河久:1965年5月8日)
淡路町交差点で右にカーブを切る37系統三田行きの都電。交差点を直進する両国橋線には25系統日比谷公園行が発車を待っている(撮影/諸河久:1965年5月8日)

■二度とは会わじの淡路町

 別カットは淡路町停留所で信号待ちしている都電の前面窓から撮った一コマ。淡路町線から右折して両国橋線に入ってくる37系統三田行きがカーブを切るシーン捉えている。右側には発車を待つ25系統日比谷公園行の都電が絶妙のタイミングで収まり、まさに「二度とは会わじの淡路町」の都電風景になった。

高層建築が立ち並ぶ淡路町交差点。 横断歩道橋の左奥に神田の老舗蕎麦店「まつや」が昔の風情で盛業している(撮影/諸河久:2019年9月25日)
高層建築が立ち並ぶ淡路町交差点。 横断歩道橋の左奥に神田の老舗蕎麦店「まつや」が昔の風情で盛業している(撮影/諸河久:2019年9月25日)

 この作品のように、都電の運転台脇は絶好の撮影ポジションだった。ことに初夏から秋口まで、都電は左右の前面窓を全開にして走っていたから、窓ガラスに臆することなく気儘にスナップ写真が撮れた。

 現況写真は靖国通りと外堀通りが交差する淡路町西側の横断歩道から撮影。つい先日まで、交差点左角に出店していた「スターバックス」の建物も解体中だった。

 画面奥に写る靖国通りの横断歩道橋は「須田町一丁目歩道橋」の名称だ。1971年3月の竣工というから、半世紀近くも神田の街を見下ろしている訳だ。

■「顔のYシャツ」は今も盛業中

 淡路町のお隣、小川町の都電路線はT字路のような三角形状の特殊な分岐点だった。三方向から走ってくる五系統の都電のいずれもが分岐の選別を必要とした。したがって、交差点の南東角にあった信号塔上の転轍手は、三方向の都電を目視して分岐器を操作していた。三方向が見易いように補助ミラーも設置された。ラッシュ時などはトイレ休憩も儘ならず、転轍手泣かせの交差点だった。

 神田橋方面から本郷通りを走ってきた25系統と37系統は、小川町交差点を右折して靖国通りに入り、須田町方面に向かっていた。いっぽう、同方向からの15系統高田馬場行きは、ここを左折して靖国通りを九段方面に向かった。三角の底辺を構成する靖国通りには、九段方面から10系統(渋谷駅前~須田町)と12系統(新宿駅前~両国駅前)の二系統が須田町方面に直進していた。

本郷通りに敷設された神田橋線小川町停留所で右折待ちする25系統西荒川行。画面右隅の「顔のYシャツ」の看板が印象深い(撮影/諸河久:1963年4月3日)
本郷通りに敷設された神田橋線小川町停留所で右折待ちする25系統西荒川行。画面右隅の「顔のYシャツ」の看板が印象深い(撮影/諸河久:1963年4月3日)
小川町の現況写真。「顔のYシャツ」は看板、店舗ともども健在だ。神田には都電に代わって地下鉄網が普及し、写っている出入口は東京メトロ、都営地下鉄の淡路町駅・小川町駅・新御茶ノ水駅の三駅への乗換連絡口になっている(撮影/諸河久:2019年9月25日)
小川町の現況写真。「顔のYシャツ」は看板、店舗ともども健在だ。神田には都電に代わって地下鉄網が普及し、写っている出入口は東京メトロ、都営地下鉄の淡路町駅・小川町駅・新御茶ノ水駅の三駅への乗換連絡口になっている(撮影/諸河久:2019年9月25日)

 次の写真は本郷通りの小川町停留所に停車する25系統西荒川行きの都電。背後には衣料品、洋服生地の店舗が軒を連ねていた。その中で忘れられない印象を植え付けられたのが、一番右端にある「顔」の看板だ。この看板のお店は、オーダーメイドのYシャツを製造販売している老舗で、創業者の似顔絵の看板が有名になったため、屋号を「顔のYシャツ」にしたそうだ。全国の顧客から発注されたオーダーメイドYシャツを作り続けている有名店で、現店主は1932年生まれの梶秀夫さん。小川町で生まれ育った生粋の神田っ子だ。

「1920年に秋葉原で創業。関東大震災で罹災後、現在の小川町に移転。戦災にもめげずに店舗を再興し、ずっと同じ場所で盛業している」というお話を伺えた。

 現況写真の撮影で訪れた小川町の街角に立つと、あの「顔」の看板は健在だった。都電の走っていた時代から半世紀が経過し、近隣の建物がすべて建て替えられた中で、孤軍奮闘する「顔のYシャツ」にエールを送りたい。

■撮影:1967年12月4日

◯諸河 久(もろかわ・ひさし)
1947年生まれ。東京都出身。写真家。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経て「フリーカメラマンに。著書に「都電の消えた街」(大正出版)、「モノクロームの私鉄原風景」(交通新聞社)など。10月8日から14日まで、東ドイツ時代の現役蒸気機関車作品展「ハッセルブラド紀行/東ドイツの蒸気機関車」を「KAF GALLERY」(埼玉県川口市)にて開催予定。

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諸河久

諸河久

諸河 久(もろかわ・ひさし)/1947年生まれ。東京都出身。カメラマン。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。「諸河 久フォト・オフィス」を主宰。公益社団法人「日本写真家協会」会員、「桜門鉄遊会」代表幹事。著書に「オリエント・エクスプレス」(保育社)、「都電の消えた街」(大正出版)「モノクロームの東京都電」(イカロス出版)など。「AERA dot.」での連載のなかから筆者が厳選して1冊にまとめた書籍路面電車がみつめた50年 写真で振り返る東京風情(天夢人)が絶賛発売中。

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