店主の田中剛さん。「自分も歳をとって、常連の皆さんの年齢も上がってきた」と語る(筆者撮影)
店主の田中剛さん。「自分も歳をとって、常連の皆さんの年齢も上がってきた」と語る(筆者撮影)

「美味しさを追求するあまり値段が高くなり、気軽に食べられなくなっては意味がないと思っています。高級食材に頼らなくても、技術と丁寧さがあれば美味しいラーメンは作れます。あくまで庶民に寄り添った食べ物であってほしいんです」(田中さん)

 そんな田中さんが愛する一杯は、長く可愛がった後輩の作るつけ麺だ。つけ麺ブームの火付け役となったお店だが、ブームに終わらせず、世界にまで羽ばたいた名店である。

■「ぬるい!」と激怒され作り直しも

 2003年に麹町でオープンして以来、“濃厚豚骨魚介つけ麺のパイオニア”として人気の「つじ田」。都内中心に出店を広げ、今では福岡空港や米ロサンゼルスにも進出している。限定ラーメンを出さず、ラーメンイベントにもほとんど出店しないため、ニュース性は低くメディアにもあまり登場しない。それでも「つじ田」には行列ができていて、リピーターも多い。業界でも特異なお店と言っていいだろう。

「つじ田」店主の辻田雄大さん。「実は猫舌」だという(筆者撮影)
「つじ田」店主の辻田雄大さん。「実は猫舌」だという(筆者撮影)

 店主の辻田雄大さんは、かつて飲食チェーンの社員として働いていた。だが、当初は運営に徹し、調理は担当していなかった。その後、自分も料理を作りたいと思い、自宅でラーメン作りを始める。飲食チェーンの社長がかつて「めん徳」というラーメン店を営んでいたことを知り、社長がラーメン作りを習ったというフレンチシェフを紹介してもらい、その下で作り方を学んだ。

 だが、実は辻田さんは大の舌。ラーメンは熱くてかきこむことができなかった。一方で、麺が冷たいつけ麺は一気にかきこむことができる。麺を一気にすすったときの喉越しの良さが何と言っても好きだった。

 特に「青葉」や「東池袋大勝軒」が好きでよく通っていた。そしてもう一軒好きだったお店が、冒頭で紹介した「田中商店」だった。「青葉」「東池袋大勝軒」の魚介の効いた旨味と「田中商店」の濃厚豚骨を合体させ、美味しいつけ麺が作ってみたいと思った。今の「つじ田」の濃厚豚骨魚介つけ麺の原点はここにある。

 こうしてお店をオープンしたが、注文が入るのはラーメンばかり。当時はつけ麺を提供するお店も少なく、お客さんはつけ麺を知らない人がほとんどだった。何とか店のウリにしたいと、オススメを聞かれるたび「つけ麺」と答えていた。だが、つけダレを麺に全部かけてから食べる人や、「ぬるい!」と激怒する人もいて、作り直すこともザラだった。「ぬるい食べ物なんかあるわけないだろ!」というクレームがきたのも、一度や二度ではない。

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第二次つけ麺ブーム到来