店主・黒木直人さん(筆者撮影)
店主・黒木直人さん(筆者撮影)

「コース料理が多くのメニューを長い時間かけて楽しんでもらうのに対して、ラーメンは1杯の丼だけで表現し、しかも食べる時間は20分ほど。それでお客さんに感動を与えるって凄い食べ物だなって思ったんです。もうラーメンしか見えませんでしたね」(黒木さん)

 家族はもちろん大反対。ラーメン業界にもほとんど知り合いがいない状態だったが、自分の意志だけで独立を決めた。ラーメンはまかないで試しに作ったことがある程度だったが、それまでの経験と腕ですぐに美味しいラーメンを作れるだろうと思っていた。しかし、そう甘くはなかった。いざ作ると、“ラーメンらしさ”が出ない。ここで黒木さんは和食とラーメンの違いに気づく。和食の製法をそのままラーメンに落とし込むだけでは美味しい一杯ができないのだ。

 毎日試作を続け、レシピが整ったのは開店の3日前。和食の技術を応用した塩ラーメンと、ドロドロで濃厚な味噌ラーメンの2枚看板にした。こうして「饗 くろ喜」はオープンした。お店は浅草橋と秋葉原のちょうど中間ぐらいにあり、駅から10分ほど歩く。決して便がいいとは言えない場所だ。

「高いハードルを越えていく方が面白いと思ったし、 “ついで”ではなく、わざわざ来てもらえるようなお店にしたいと思ったんです。もともとこのあたりには飲食店は一軒もありませんでした」(黒木さん)

 立地が悪いにも関わらず、オープン3日目には店の前に行列ができた。黒木さんの経歴や、醤油ラーメンがないこと、対極にある2杯のラーメンを出していることなど、話題の種がたくさんあり、口コミはすぐに広がった。開店当初は妻と2人で切り盛りしていたため、朝5時に家に帰って、7時半に出勤する日々が続いた。

「初めてのことだらけでてんてこ舞いでしたが、アドレナリンが出ていたのか、平気でした」(黒木さん)

 少しずつ“ラーメンらしさ”を学び、インパクトのある一杯に仕上げていった。

「ひと口すすった時に“ラーメン”を感じられるかが全てです。やっていくうちにラーメンというものがわかってきた感じですね。ラーメンはまさに深堀りの食べ物で、研究の成果がそのまま丼に表れてきます」(黒木さん)

 12年に鯛と石巻産のワカメを使った限定麺を提供したことをきっかけに、「旬」を盛り込んだラーメンを作るという新たな挑戦が始まった。和食で培った季節の食材の使い方も生きてきた。「くろ喜」はラーメンの間口の広さを示すだけでなく、日本各地の美味しい食べ物を発信している。「くろ喜」が使った食材が他のラーメン店に広がっていくこともあった。

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食べることの”基本”