日産やいすゞの大型トラックが行き交う青梅街道を走る14系統新宿行き。背景の建物は淀橋浄水場で1965年まで稼動していた。柏木一丁目~新宿駅前(撮影/諸河久:1963年11月30日)
日産やいすゞの大型トラックが行き交う青梅街道を走る14系統新宿行き。背景の建物は淀橋浄水場で1965年まで稼動していた。柏木一丁目~新宿駅前(撮影/諸河久:1963年11月30日)

■淀橋浄水場の専用線

 新宿駅前から現在の西新宿に当たる柏木一丁目方向を写した別カットをご覧いただきたい。荻窪方からやってきた2000型が、淀橋浄水場の建物を背にして新宿駅前に向けて緩やかな坂を下るシーンだ。方向幕が「荻窪駅」になっているのは、終点間際で方向幕を変更したからだ。この都電の位置に廃止された浄水場前停留所(後年、角筈二丁目に改称)があった。

 淀橋浄水場の通水は1898年12月となっている。この時代、淀橋浄水場への建設機械や資材の搬入に供したのが、中央線大久保駅を起点とする専用線だった。浄水場の広大な場内も含めると、約2800mの鉄道が敷設されていたようだ。昭和期の古地図には、青梅街道で新宿軌道線と平面交差して浄水場の敷地に向う専用線がはっきり記載されていた。

 画面右奥に写っている大型トラック群の後ろ側に、専用線との平面交差があったものと推測される。「淀橋浄水場専用線は1935年頃まで稼動していた」という記載が別の資料にあり、動力は国鉄蒸気機関車を使っていたことも確認した。戦前はB6/2120型蒸気機関車が入換用に重用されていたが、この専用線を走る写真が残っていれば、使用機関車も解明される。

青梅街道新宿大ガード東側に残る旧新宿駅前に通じていた軌道跡。新宿軌道線の電車は画面左の歩道の敷地に敷設された軌道を奥の方向に進み、国鉄(現JR)新宿駅東口に隣接した新宿駅前停留所で折り返していた(撮影/諸河久:1964年12月16日)
青梅街道新宿大ガード東側に残る旧新宿駅前に通じていた軌道跡。新宿軌道線の電車は画面左の歩道の敷地に敷設された軌道を奥の方向に進み、国鉄(現JR)新宿駅東口に隣接した新宿駅前停留所で折り返していた(撮影/諸河久:1964年12月16日)

■青梅街道を走る路面電車

 青梅街道に西武軌道による新宿軌道線が敷設されたのは、1921年8月だった。当初は淀橋~荻窪が開業。翌年、淀橋~新宿を延伸し、1926年には新宿駅前までの開業を見ている。この新宿軌道線の出自は複雑を極める。開業から二年の間に、経営が武蔵水電→帝国電燈→武蔵鉄道とめまぐるしく変わり、さらに武蔵鉄道が旧西武鉄道に社名変更され、同社新宿軌道線として運行されていた。1935年に旧西武鉄道は東京乗合自動車(親会社は東京地下鉄道)に新宿軌道線の経営を委託した。

 第二次大戦中の1942年2月に陸上事業調整法が制定され、新宿軌道線の運営管理を東京市が受託。市電路線の一部に編入され、36系統を付番されて運行された。翌年東京都制の施行で市電から都電に改組され、終戦を迎える。戦後は14系統に改番されて、引き続き委託運営のまま運行されていたが、1951年に東京都交通局が西武鉄道(旧西武鉄道と武蔵野鉄道が合併して西武農業鉄道となり、1946年から名称変更で西武鉄道となった)から新宿軌道線を買収し、正式に都電路線となった。

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西口再開発に大きな波