左を石神井川、右を京浜東北線に挟まれた王子駅前で行き交う27系統と19系統の都電。石神井川畔の桜はまだ開花していなかった(撮影/諸河久:1963年4月3日)
左を石神井川、右を京浜東北線に挟まれた王子駅前で行き交う27系統と19系統の都電。石神井川畔の桜はまだ開花していなかった(撮影/諸河久:1963年4月3日)

 2020年の五輪に向けて、東京は変化を続けている。前回の東京五輪が開かれた1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに当時を振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。今回は桜の名所「飛鳥山」の観桜客の足としても親しまれている王子駅前の都電だ。

【56年が経過した現在はどんな風景に? 現在の同じ場所の写真や当時の貴重な別カットはこちら】

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 都電荒川線は以前にも「三ノ輪橋」を紹介したが、現存する唯一の都電であり、地元の人々に愛されているだけでなく鉄道ファンの間でも人気は高い。写真は王子駅前停留所から栄町方にカメラを向けた、56年前の一コマだ。

 王子駅前から早稲田、赤羽、三ノ輪の三方向に路線を持っていた王子電気軌道が、第二次大戦中に制定された陸上交通事業調整法により東京市電に統合されたのは1942年2月だった。翌1943年には東京都制の施行により市電から都電に呼称が替わった。旧王子電気軌道を統合した路線は、東京都交通局の三河島線(三ノ輪橋~野前)、荒川線(熊野前~王子駅前)、滝野川線(王子駅前~大塚駅前)、早稲田線(大塚駅前~早稲田)、赤羽線(王子駅前~赤羽)になった。

現在の王子駅前停留所。JR東北新幹線の高架線が上空を覆い、治水工事された石神井川畔にも昔日の面影はない(撮影/諸河久:2019年4月25日)
現在の王子駅前停留所。JR東北新幹線の高架線が上空を覆い、治水工事された石神井川畔にも昔日の面影はない(撮影/諸河久:2019年4月25日)

 戦時中の1944年の運行形態は32系統(王子駅前~早稲田)、37系統(三ノ輪橋~大塚駅前)、38系統(三ノ輪橋~赤羽)の三系統で運行された。戦後は27系統(三ノ輪橋~赤羽)と32系統(荒川車庫前~早稲田)の二系統に改編された。27系統は1972年11月に赤羽線が廃止されると、三ノ輪橋~王子駅前の短縮運転となった。

 1974年10月、27・32系統の存続が決まり、両系統を一体化した呼称の「荒川線」がスタートした。ここに、長年親しまれてきた都電の系統番号は終止符を打った。同時に路線名も旧呼称を廃止して荒川線(三ノ輪橋~早稲田)に改称され、現在に至っている。

 余談であるが、荒川線存続と同時に経営合理化のための「ワンマンカー」の導入が決まり、1977年10月からワンマン・ツーマン混合運転となった。さらに1978年4月、7000型の車体更新、7500型のワンマン改造が完了したことで、オールワンマンカーによる運転となった。

■半世紀前の王子駅前と製紙博物館

 写真は、通三丁目に折り返す19系統の都電が複線軌道の中央に敷設された折り返し線に入り、王子駅前で待機していた27系統三ノ輪橋行きと行き交うシーンを撮影した。

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諸河久

諸河久

諸河 久(もろかわ・ひさし)/1947年生まれ。東京都出身。カメラマン。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。「諸河 久フォト・オフィス」を主宰。公益社団法人「日本写真家協会」会員、「桜門鉄遊会」代表幹事。著書に「オリエント・エクスプレス」(保育社)、「都電の消えた街」(大正出版)「モノクロームの東京都電」(イカロス出版)など。「AERA dot.」での連載のなかから筆者が厳選して1冊にまとめた書籍路面電車がみつめた50年 写真で振り返る東京風情(天夢人)が絶賛発売中。

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