昭和40年3月の路線図。京橋界隈(資料提供/東京都交通局)
昭和40年3月の路線図。京橋界隈(資料提供/東京都交通局)

 都電になった戦後の運行は、1系統(品川駅前~上野駅前)、22系統(南千住~新橋)、40系統(神明町車庫前~銀座七丁目)の三系統に改編された。この三系統に充当された車両は1000、1100、2000、3000、5500、6000、6500、7000、8000型の9形式におよんだ。
京橋から都電の轍音が消えたのは、本通線が廃止された1967年12月だった。

■一帯は名建築が林立

 写真の背景に目を移すと、右側手前の凝った装飾の建物が「浜野繊維本社ビル」で、象牙色に似た色彩の典雅な外観だった。以前に「一丁倫敦」で紹介した「三菱第1号館」を設計したジョサイア・コンドルの弟子の曽禰・中條設計事務所が手掛けた名作だ。その後方の赤煉瓦(れんが)に装われたひと際目立つ建物が「第一相互館」で、塔部までの高さは45mにおよび、日本橋・京橋・銀座界隈のランドマークとして君臨した。東京駅を設計した辰野金吾と葛西萬司の設計で1921年に竣工している。

 左側には手前から「第百生命ビル」「塚本ビル」「東洋電機製造本社ビル」「大映本社ビル」「協和銀行」など、戦前からの個性豊かな欧風建築が軒を連ねていた。
 
 銀座通りを走る都電と競演した京橋の欧風建築群は、第一相互館が1971年に、浜野繊維本社ビルが1981年に建替えられるなど、半世紀という歳月の流れの中で、その姿を次々と消していった。

 栄枯常衰は世の常というが、往年の名建築に親しんだ筆者の世代には、最新の耐震耐火構造の建物からは冷たい印象しか感じ得ない。

■撮影:1965年5月15日

◯諸河 久(もろかわ・ひさし)
1947年生まれ。東京都出身。写真家。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。「諸河 久フォト・オフィス」を主宰。公益社団法人「日本写真家協会」会員、「桜門鉄遊会」代表幹事。著書に「都電の消えた街」(大正出版)「モノクロームの東京都電」(イカロス出版)などがあり、2018年12月に「モノクロームの私鉄原風景」(交通新聞社)を上梓した。

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諸河久

諸河久

諸河 久(もろかわ・ひさし)/1947年生まれ。東京都出身。カメラマン。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。「諸河 久フォト・オフィス」を主宰。公益社団法人「日本写真家協会」会員、「桜門鉄遊会」代表幹事。著書に「オリエント・エクスプレス」(保育社)、「都電の消えた街」(大正出版)「モノクロームの東京都電」(イカロス出版)など。「AERA dot.」での連載のなかから筆者が厳選して1冊にまとめた書籍路面電車がみつめた50年 写真で振り返る東京風情(天夢人)が絶賛発売中。

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