青山界隈の風景は昔の面影も残す。ここへ来ると、労組役員時代に聴いた先輩の「遺言」が頭に浮かんで、また自らを戒める(撮影/狩野喜彦)
青山界隈の風景は昔の面影も残す。ここへ来ると、労組役員時代に聴いた先輩の「遺言」が頭に浮かんで、また自らを戒める(撮影/狩野喜彦)

 日本を代表する企業や組織のトップで活躍する人たちが歩んできた道のり、ビジネスパーソンとしての「源流」を探ります。AERA 2023年4月24日号の記事を紹介する。

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 1980年3月、朝日麦酒(現・アサヒビール)の仙台支店を休職し、東京・青山の表参道交差点近くにあった労働組合本部の専従役員になった。28歳。苦しい業績が続き、ほどなく経営陣は約530人の希望退職者を募ることを決断した。年長の社員たちに照準を合わせた、いわば指名解雇だ。労組も会社の苦境を考えると、受け入れざるを得なかった。

 ここから、想像もしたことがない「茨の道」が始まる。対象の年長者に退職を促す「肩たたき」をするのは、会社だ。でも、受け入れた労組も協力し、本部役員らが手分けして会って、退職の意向を確認した。

 それまで、労組が何をしているのか知らなかったし、関心もなかった。岩手県と福島県の営業を担当し、酒類の卸会社や大事な取扱店を回り、市場シェアを回復すること以外に考えたこともない。ある日、仙台の労組支部長に東京である組合大会へ出るように言われた。「若手として発言してこい」とのことだった。

 仙台支店は東北の拠点。物流、経理などの担当者もいて、総勢は約50人。なかで20代の営業マンは自分だけ。大会で何か言った覚えはあるが、たいした内容ではない。ところが後日、労組の支部長に本部役員になるように言われた。2度、断った。労組の仕事をやるために、入社したわけではない。すると、支店長に呼ばれた。朝日麦酒では全社員が労組に加入する制度なので、断って労組を除名されると会社を辞めなくてはならなくなる、と説かれる。「本部役員を引き受けろ」との示唆だ。

■希望退職で面談 胸に染み込んだ大先輩の言葉

 希望退職の意向面談で、ある工場の50代の先輩に言われた。

「状況は、分かった。私は辞めていく。ただ、声の大きい人の話を聴くだけでなく、声なき声、コツコツと真面目に仕事をしてきたのに辞めていく人たちの声を聴いてくれ。それを、会社に伝えてくれ」

 が~ん、と頭を叩かれた気がした。胸に染み込む言葉だった。これが、小路さんのビジネスパーソン人生を定めた『源流』となる。

 2011年7月、持ち株会社アサヒグループホールディングスの傘下で、ビール事業を展開するアサヒビールの社長になった。出した三つの方針で、最初の一つが「社員は会社の命である」との表明だ。これは、あの希望退職の体験から出た。50代の先輩の言葉は、忘れたことがない。あのようなことは、二度としたくない。そう思い続けていたから、社員たちに「約束」したかった。

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