「新政」の蔵には、昔ながらの木桶が並ぶ。社長の佐藤祐輔は「いずれ、すべてを地元の秋田杉の桶にする」
「新政」の蔵には、昔ながらの木桶が並ぶ。社長の佐藤祐輔は「いずれ、すべてを地元の秋田杉の桶にする」

 酒造りの技法で日本酒の新境地を切り開いた新政酒造の佐藤祐輔さん。東京大学卒業後、フリーライターとして活躍した異色の経歴を持つ。佐藤さんの酒造りへのこだわり、そして視線の先にあるものとは──。AERA 2023年4月10日号の記事を紹介する。

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 全国の若い杜氏(とうじ)のあこがれの存在が秋田市にいる。「新政(あらまさ)」を造る佐藤祐輔(48)。江戸時代には原形ができていた「生(き)もと」と呼ばれる酒造りの技法で、新境地を切り開いた。

 雑菌の繁殖を抑えるため、酒造りには、高い酸性環境が必要だ。バイオテクノロジーがない時代に先人たちが発見した。

 自然界に存在する乳酸菌を酒造りに取り込んで「酸」を発生させた。「生もと」は、桶(おけ)の中で蒸し米と麹、水を混ぜ、自然界にある乳酸菌を取り込みながら長い棒を使って、お粥(かゆ)状態になるまですり潰して酒を造る手法だ。

 造り手にとっては重労働だったため、人為的に最初から既成の乳酸剤を加える手法が明治43年に考案された。そのやり方でも十分うまい酒ができ、酒造りの主流になった。

 佐藤は蔵元の長男ではあるが、東京大学文学部を卒業し、「週刊朝日」などで記事を書くフリーライターとして活躍した。静岡の銘酒「磯自慢」を飲んだのをきっかけに日本酒の世界に引き込まれ、32歳の2007年に実家に戻った。

 秋田に戻ったころ、「純米酒」の価値が注目され始めていた。実家の新政酒造でも、醸造アルコールが大量に添加された「普通酒」を純米酒に変えていくことが経営上の急務だった。添加物が入る普通酒が刷新されるなら、同じように人工の乳酸という添加物を加えて酒を造ることも問題なのではないかと思った。

 失敗は続いた。何本もの発酵タンクの酒をだめにし、何度も落ち込んだ。だが、佐藤は信念を曲げなかった。

「昔のように酒を大量に造らなければならない時代なら効率を優先するのもわからなくはない。大量生産品ではなく、手造りの少量の酒にこそ価値が認められる時代になったのだから、自分なりの酒を追求すべきだ」

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