大宮エリーさん(左)と隈研吾さん(撮影/篠塚ようこ)
大宮エリーさん(左)と隈研吾さん(撮影/篠塚ようこ)

 作家・画家の大宮エリーさんの連載「東大ふたり同窓会」。東大卒を隠して生きてきたという大宮さんが、同窓生と語り合い、東大ってなんぼのもんかと考えます。10人目のゲスト・隈研吾さんが国立競技場の設計に秘めた想いを伺いました。

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大宮:東京オリンピック、あれはぶっちゃけ、どんなだったんですか。

隈:ザハ・ハディドさんはね、すごい形を作る天才的な人。あのとき日本のマスコミは、彼女の建物は建てられない「未完の女王」と言ったけど、あれは完全に間違った情報です。2000年ぐらいから時代が彼女に追い付いていた。お金はかかるけど造れるようになったからね。でも国立競技場の設計が急遽(きゅうきょ)再コンペになり、まさか自分がやるとは思ってなかったけど、誘われたので参加したの。時間がなさ過ぎて驚いたんだけど、「環境」というテーマがあったから、集中力で嵐のような勢いで。でも案はわりと簡単に決まった。

大宮:なぜですか。

隈:時間がなかったから(笑)。迷ったら絶対に締め切りに間に合わないから、自分の持ってる今までの技を出し切ろうと思って、迷わずに絵がすいすい描けた。

大宮:コンペはどうだったんです?

隈:環境をテーマにするなら、もう杜(もり)のスタジアムしかないだろうと。最後残った相手のテーマもそうだった。でも材料や形はちょっと違う。僕は細い木でひさし、はりを作る。もう一つのチームは太くてどーんとね、最近のヨーロッパ流の木造建築。

大宮:相手は勝つ建築だった。またしても負ける建築が勝ったんですね。でもまさかあの時点で、コロナが来ると思わなかったんじゃないですか。

隈 そんなの全然思うわけないじゃない。2015年だもの。

大宮:ですよね。コロナ禍になって自分の造った建築物に、観客を入れる入れないみたいな報道を、どう思われてたんですか。

隈:オリンピックをやってほしいなっていうのはあった。だけど、ある種の偶然で、人がいっぱいに見えるような観客席だった。映像に映ったのを見て、ああ、偶然だけどうまくいったなと。

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