重労働の家事も「運動」の一部と言える(写真/gettyimages)
重労働の家事も「運動」の一部と言える(写真/gettyimages)

「ちょっとのんびりしすぎだぞ、そろそろ伸びをして体を動かせ!」

 スパルタ体育教師でも言わないようなセリフを1時間ごとに吐いてくる輩がいます。私のスマートウォッチです。GPS機能によってランニングやウォーキングの成果を地図付きで記録してくれる頼もしい腕時計ですが、このGPS機能によって時計を身に着けている人間がひと所にとどまっていることもわかるのか、1時間以上体を動かしていないと「そろそろ動く時間だぜ!」とメッセージとバイブレーションで発破をかけてくるのです。

 ソファに寝そべっているときにこのお知らせをされたら、ごもっともとばかりに立ち上がって伸びをします。でも、奴はしばしば間違いを犯します。私が汗をかきながら必死で体を動かしているときにもこう知らせてくることがあるのです。それはたとえば、8キロ超の1歳児をおんぶしながら皿洗いをしているとき。あるいは炎天下、しゃがみこんで庭の草むしりをしているとき。はたまた氷点下の早朝、玄関前の雪かきをしているとき。GPS上は一歩も動いていない計算になるのかもしれませんが、腕は忙しなく働き、息は上がっています。いずれもちょっとした運動量になっているはずです。

 そもそもスマートウォッチで記録できる「運動」の選択肢は、ごく限られています。私のスマートウォッチで選べるのは、自転車、ランニング、水泳、ウォーキング、ヨガ、マシントレーニング、ハイキング。いかにもアメリカベイエリア在住のお金持ちエリートたちが考える「運動」だな、と思います。育児や家事、庭仕事もいい運動になるけど、それらは想定していないんだろうか。いや、そんな日常の雑事はきっとベビーシッターや掃除婦や機械がやってくれるから彼らの生活には存在しない行為なのだろう────なんて卑屈にも考えてしまいます。

 エリート批判を気取る私自身、スマートウォッチを付けて「運動」に勤しんでいる時点でずいぶんな俗物です。掃除機や洗濯機がなかった時代を生きてきた人から見ると、家事を機械に任せて何も生み出さない行為に体力を注ぐ愚か者に見えることでしょう。ランニングをしているといったら、大正生まれの祖父に「なんでわざわざ疲れるようなことをするんだ」と驚かれたことを思い出します。ちなみに祖父は、私がハムスターをペットにしていることにも驚き呆れていました。「どうしてわざわざネズミをカゴに入れて食べ物をやっているんだ」と。米農家の祖父は、屋根裏の米を盗んで食べるネズミに手を焼いてネズミ捕りを仕掛けていましたから。

著者プロフィールを見る
大井美紗子

大井美紗子

大井美紗子(おおい・みさこ)/ライター・翻訳業。1986年長野県生まれ。大阪大学文学部英米文学・英語学専攻卒業後、書籍編集者を経てフリーに。アメリカで約5年暮らし、最近、日本に帰国。娘、息子、夫と東京在住。ツイッター:@misakohi

大井美紗子の記事一覧はこちら
次のページ
「運動」の概念が決められる?