藤井聡太が勝った後には、いつもなにかしらの記録が生まれる。20歳での竜王位防衛もまた、最年少記録だ(写真:代表撮影)
藤井聡太が勝った後には、いつもなにかしらの記録が生まれる。20歳での竜王位防衛もまた、最年少記録だ(写真:代表撮影)

 藤井聡太五冠が竜王戦で挑戦者の広瀬章人八段を下し、初防衛を果たした。七番勝負で初の2敗を喫したが、タイトル戦に11回出場して全勝と圧倒的な強さを誇る。AERA2022年12月19日号の記事を紹介する。

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「苦しいシリーズでしたけど、なんとか結果を出すことができて、ほっとしています」

 12月2、3日、鹿児島県指宿市においておこなわれた竜王戦七番勝負第6局が終わった直後、藤井聡太竜王(20)はそう語った。藤井は広瀬章人八段(35)の挑戦をしりぞけて、竜王位初防衛を飾った。

「スコアは2勝4敗でしたけど。中終盤あたりで、やはり相手の実力を感じることも多かったので。スコア以上に完敗だったかなと思います」

 こちらは敗退した広瀬の言葉で、両対局者ともにそれぞれ、謙虚な人柄が表れている。

■第1局は広瀬が完勝

 一観戦者の目でまとめれば、広瀬が健闘しつつも、藤井がいつもながらの強さを見せ、大いに盛り上がったシリーズというところだろう。

 駆け足で七番勝負を振り返ってみよう。戦前の下馬評では、藤井ノリの声が圧倒的だった。長いトーナメントを勝ち抜いて挑戦権を得た広瀬が、弱いはずがない。しかしなにしろ、藤井はこれまで登場した全タイトル戦を通じて敗退なしという、これまでの将棋界の常識では考えられないような実績をすでに積んでいる。七番勝負(2日制、持ち時間8時間)では1敗までしかしたことがなかった。通算勝率8割以上と驚異的な勝率をキープし続ける藤井は、どんな時間設定でも強い。その上で、時間があればあるだけ、さらにスキがなくなる。20歳という若さにして、すでに絶対王者の風格を身にまとっていると言っても過言ではない。

 七番勝負開幕に先立つ振り駒によって、第1局は広瀬が先手番となった。

 将棋では先手番の勝率がわずかに高く、トップクラスに近づくにつれて、先手有利の傾向が顕著になる。交互に先後が替わるタイトル戦の番勝負では、いかに先手番を「キープ」し、後手番で「ブレーク」をするかという戦略が鍵になる。

 とはいえ、これまでの藤井はタイトル戦において、先後の差などは関係ないかのように勝ち続けてきた。そこへ今期第1局、広瀬がまず完勝を収めた。

「皆さんも驚かれていると思いますが、私自身もけっこう、この勝利には驚いているんですけれども」

 広瀬は局後にそう語った。広瀬の人柄がしのばれるようなコメントだ。完璧に近い圧倒的な勝ち方を見せられて、多くの観戦者が驚いたのもまた事実だっただろう。以後も広瀬は毎局にわたって、優れた作戦を披露し続けた。内容的にも押されていた将棋が多かったと、藤井自身も認めている。

「広瀬八段に序盤から工夫をされて。それに対して、けっこうこちらがうまい対応を返せないということが多かったので。改めて自分の課題を感じたところはありました」(藤井)

■帰趨を決した第3局

 第2局は藤井の勝ち。振り返ってみれば、両者1勝1敗で迎えた第3局が、今シリーズの帰趨(きすう)を決したのかもしれない。先手番の広瀬が優位に進め、決めにいったところで、藤井に会心の返し技が出た。結果は藤井の逆転勝ちだった。

「第3局を落としてしまったことはあまりにも痛かったです」

 広瀬は自身のブログに、そうつづっている。

 第4局は藤井が勝って、広瀬はカド番に追い込まれた。このままいつものように、藤井が押し切って終わるのか。そう思われたところで、第5局は広瀬が勝った。藤井が七番勝負初の2敗目を喫した点についても、大きく報道された。

 第6局。先手の藤井はこれまでと同様、エース戦法の角換わり腰掛け銀を選んだ。藤井が仕掛けていったのに対して広瀬の反撃が巧妙で、途中では広瀬が指せると見られた局面もあった。

 2日目。広瀬の封じ手は大方の予想通り、飛車を追う銀打ちだった。対して藤井はほとんど誰も予想していないような手を指した。飛車を横にスライドして逃げるのではなく、縦に浮いたのだ。これには広瀬も観戦者も驚いた。広瀬に2枚目の銀を打たれると、藤井の飛車は逃げ場がない。しかしその先、飛車を取らせたあと、藤井には絶妙な攻防の角が用意されていた。

■ちょっと甘い考えだった

「『飛車取ればなんとかなるかな』っていう、ちょっと甘い考えだった」

 広瀬は局後にそう反省していた。ではどうすればよかったのか。藤井が検討で示したのは、銀を打つ前に香を打つ順。その先まで進めてみると、どちらも同じ局面が繰り返されるのを回避できず「千日手」(引き分け)となる。そうなれば後手番の広瀬に不満はない。

「こちらは千日手以上はないかと思ったんですが」(藤井)

「えっ、千日手? ああ……。けっこうさわやかに千日手になっちゃうのか」(広瀬)

 優位に立った藤井は正確に広瀬玉を寄せていく。時間に追われていれば逆転の余地もあったのかもしれない。しかし藤井は持ち時間8時間のうち、2時間以上を残して読み切った。

 いつもは勝っても負けても淡々としている広瀬は最後、落胆の表情を隠さなかった。それだけ今シリーズに懸けたものは大きかったという表れだろう。

 広瀬は藤井玉に迫って形を作る。そこで藤井が広瀬玉を詰まし、今期七番勝負は閉幕した。

 藤井はこれでタイトル戦に11回登場し、そのすべてを制している。そんな棋士は過去にはいない。

■通算11期は歴代9位

 タイトル通算99期で、現代将棋史上最高の実績を誇る羽生善治九段(52)は、タイトル戦登場2回目と11回目では、それぞれ竜王防衛に失敗している。だからといって、それが羽生の大きな挫折であったとも思われない。

 羽生ぐらいに若いうちから勝ち続けた棋士は空前だった。その後、羽生を上回るペースで勝ち続けている藤井が現れたことを考えれば「絶後」という言葉は安易に使ってはいけない。それでもこの先、藤井のような棋士が現れるとは、なかなか思えない。

 藤井のタイトル通算11期は早くも歴代9位の記録。12期の森内俊之九段(永世名人資格者、52)、13期の佐藤康光九段(永世棋聖資格者、53)というレジェンドたちに追いつき追い越すのも時間の問題であろう。

 五冠を保持している藤井自身は記録に関しての興味は薄い。一方で周囲からは夢の八冠制覇の期待をかけ続けられている。

「それについては自分ではまったく意識することではないかな、と思っていますけど。今後も少しでも実力を高められるようにがんばりたいと思います」

 竜王防衛後、八冠について尋ねられた藤井は、そう答えた。

 将棋界の歳時記では、年明けから王将戦七番勝負が始まる。

 藤井王将に挑むのは、羽生九段。ついに実現したドリームマッチであり、こちらは早くも空前のフィーバーの前兆を見せている。

 羽生は1996年、王将戦を制して、当時の全七冠を制覇した。時を経て、羽生はタイトル100期目を目指すとともに、藤井の全冠制覇をも阻止する立場になった。あまりに劇的な筋書きというよりない。どちらが勝っても、後世に語り継がれるシリーズとなりそうだ。(ライター・松本博文)

AERA 2022年12月19日号

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松本博文

松本博文

フリーの将棋ライター。東京大学将棋部OB。主な著書に『藤井聡太 天才はいかに生まれたか』(NHK出版新書)、『棋承転結』(朝日新聞出版)など。

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