作家・画家の大宮エリーさんの連載「東大ふたり同窓会」。東大卒を隠して生きてきたという大宮さんが、同窓生と語り合い、東大ってなんぼのもんかと考えます。8人目のゲスト、シンガー・ソングライターの小椋佳さんは卒業、銀行員になったことが「後ろめたかった」と言います。
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大宮:文Iで法律を勉強して銀行に就職って意外です。小椋さんはなんで銀行員になったんですか。
小椋:当時、東大の場合、売り手市場って言うのかな。先輩が何人か入っていたし、面白くて居心地よさそうな場所に行きゃいいと思ったから。
大宮:そうなんですね。
小椋:勧銀(日本勧業銀行、現みずほ銀行)に入ったけど、後ろめたさがあるよね。創造的な人生を生きなきゃいけないと思ってるのに、なんで銀行なんかに入るんだって。
大宮:なるほど。
小椋:あなたは芸術家さんですけどね、僕も大学3、4年から絵を描いたり、音楽をしたり、芝居を作ったりしました。何をやってもだめでしたけどね。創造することが、生きている証しだと思っていたんですよ。だから、大組織に入るけど、創造的な作業をする人間でい続ける、表現者であり続ける、と卒業コンパのときに、大言壮語(たいげんそうご)してたよ。
大宮:銀行ではどんなことを?
小椋:銀行の中でも、銀行としての新しい仕事には飛びついたね。2年目で資生堂グループの担当になったんですよ。資生堂は当時、勧銀の上得意さん。毎日、資生堂の研究をしましたよ。本社にも、系列の会社にも通いました。資生堂を担当した1年間は、面白くてしょうがなかった。いろんなことをしたよ。
大宮:へぇ、どんなふうに?
小椋:例えば資生堂が物を買うでしょ。支払いに約束手形を使う。いろんな銀行の約束手形を切ると、財務部長はそれぞれの銀行の手形用紙にハンコを押さないといけない。だから、手形の用紙を機械で印刷して、ハンコも機械で印字しましょうと提案したの。資生堂が切る約束手形は全部、勧銀のものにしましょうと。
大宮:こっちのほうが楽じゃない?っていうサービスにしたわけですね。
小椋:そうすると、資生堂の支払資金は必ず全て勧銀に来るわけです。