世界のウチナーンチュ大会の前夜祭パレードで、エイサーを踊るシカゴ沖縄県人会の少女たち(10月30日、那覇市の国際通りで)(撮影/三山喬)
世界のウチナーンチュ大会の前夜祭パレードで、エイサーを踊るシカゴ沖縄県人会の少女たち(10月30日、那覇市の国際通りで)(撮影/三山喬)

 6年ぶりに開催された世界のウチナーンチュ大会に集った沖縄県系3世、4世の若者たち。彼らには、年配の世代とは異なる「沖縄アイデンティティーの目覚め」の瞬間があった。AERA 2022年11月21日号の記事を紹介する。

【この記事の写真をもっと見る】

*  *  *

 戦前、県民の10人にひとりが移民として海外に出た沖縄県。各国に住む老移民やその子孫が“ルーツの地・沖縄”に参集する「第7回世界のウチナーンチュ大会」が10月31日から4日間、那覇市で開かれた。

 コロナ禍で1年延期され6年ぶりの開催となった今大会。日本への入国規制の緩和のタイミングがギリギリとなり、オンライン参加の受け皿もつくったため、海外からの来県者は前回の3割強の2300人台にとどまったが、今回も、国内外の人々が“ともにウチナーンチュである”という一点で連帯する独特の高揚に包まれた。

 沿道から「おかえりー」と次々歓声が飛ぶ国際通りのパレードも、沖縄セルラースタジアム那覇を歓喜の渦で包むフィナーレも、前回同様に見る者を圧倒した。

 日本からの移民送出は高度成長期に終焉(しゅうえん)し、どの国の日系社会にも往年の求心力はもはやない。20年ほど前、南米各国で“日系人の現地同化”を取材した経験から言えば、当時すでに若い世代は日系人会を「老人会」的な存在と捉え、あまり近づこうとしなかった。それでも「沖縄県系人」(沖縄ではこう呼ばれる)の状況は少し違う。

 ブラジル沖縄県人会の前会長・島袋栄喜さんは、こう胸を張る。

「ブラジルの場合、出身地別では本が1番で沖縄は2番目。日系人全体の1割ほどですが、沖縄県人会ひとつと他の46都道府県人会を合わせた“重さ”はほぼ同じだと言われます。行事に集まる人数も活発さも沖縄が群を抜いているのです」

■群を抜く活動の活発さ

 助け合いを重んじる県民性や移民社会内部での差別の歴史など、さまざまな背景が指摘されているが、前回に引き続き大会を見た筆者の印象では、20~30代の県系参加者には、古い世代とはまた異なる意識もあるように感じられる。

 独特の文化や苦難の歴史を持つ県系人たちの自己認識は、家庭内で父母や祖父母から受け継がれるだけでなく、時に若者世代から突如出現したりもする。だからこそ、32年前に移民1世の里帰りを主目的に始まったこの祭典が、下の世代にも拡大してきたのだ。

次のページ