緩和ケア医 山崎章郎さん/2005年、在宅療養を支援する「ケアタウン小平クリニック」を開設。近著に『ステージ4の緩和ケア医が実践するがんを悪化させない試み』(新潮選書)(撮影/古川雅子)
緩和ケア医 山崎章郎さん/2005年、在宅療養を支援する「ケアタウン小平クリニック」を開設。近著に『ステージ4の緩和ケア医が実践するがんを悪化させない試み』(新潮選書)(撮影/古川雅子)

 がんの治療をしても効果や回復が見込めなくなったとき、医療から突然切り離され、戸惑う患者も少なくない。ケアの空白を埋めるにはどうしたらいいのか。AERA 2022年11月7日号の記事を紹介する。

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 がん治療が終了した時や継続できなくなった時、終末期に至る手前の段階に「ケアの空白」がある──。

 そう指摘するのは、医師で、今は患者でもある山崎章郎さん(75)だ。『病院で死ぬということ』の著者としても知られる緩和ケア医であり、18年から進行した大腸がんの闘病を続ける。

 山崎さんは手術後、再発を予防するための経口の抗がん剤を服用した。副作用が過酷だった。

「食欲の低下、吐き気、下痢といった教科書通りの副作用と同時に苦しんだのは『手足症候群』。手のひらの指関節や足裏にひび割れが起こった時は、往診の車の運転もままならなくなった。歩くだけでも激痛が走った」

 術後半年で受けたCT検査の結果に、山崎さんは茫然(ぼうぜん)とした。両肺への多発転移。職業柄、CT画像を一目見て状況を把握し、主治医に自ら言った。

「ステージ4ということですね」

 主治医は「そういうことになります」と頷き、しばし沈黙した。その後、主治医からは次の段階の抗がん剤治療を提示された。それは胸にポートを作って、持続的に投与する注射薬だった。

 山崎さんは、その抗がん剤治療を受けないことに決めた。

「最初に受けた抗がん剤治療で、あれだけつらい副作用を経験しても、再発・転移してしまった。私は高齢で、そもそも人生の最終コーナーまで来ている。ステージ4で治らない前提なら、副作用に耐えている時間に人生を費やす意味を、私自身は感じられませんでした。それよりは、仕事を全うし、身辺を整理して、穏やかな状態で家族や大切な人たちと一緒にいたいと」

■穏やかな日常送りたい

 山崎さん自身もそうなのだが、副作用が強いなどの理由で抗がん剤治療を「続けられない」、あるいは「選択しない」患者は、治療をやめて副作用が抜けると、特に痛みもなく、比較的体は元気で、穏やかに日常を送れる時期を過ごせることも多いという。だが、患者は医療の場から突然切り離されることもある。「早期からの緩和ケア」を提供している施設も少ない。山崎さんは「ケアの空白」を、今は、患者の視点で見つめている。

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