よしざき・みちよ/1942年、大分県出身。高校卒業後、イタリア・ローマに留学し映画学校で学ぶ。75年に日本ヘラルド映画社に入社。92年に映画製作会社NDFジャパンを設立。95年にNDFインターナショナルを英国で設立(photo 品田裕美)
よしざき・みちよ/1942年、大分県出身。高校卒業後、イタリア・ローマに留学し映画学校で学ぶ。75年に日本ヘラルド映画社に入社。92年に映画製作会社NDFジャパンを設立。95年にNDFインターナショナルを英国で設立(photo 品田裕美)

 AERAで連載中の「この人この本」では、いま読んでおくべき一冊を取り上げ、そこに込めた思いや舞台裏を著者にインタビュー。

【写真】吉崎道代さんの著書『嵐を呼ぶ女』はこちら

『嵐を呼ぶ女』は、吉崎道代さんの著書。落ちこぼれの女子高生が一念発起して海を渡り、男性社会である国際映画界で生き抜いてきた闘いの記録。大ヒット映画「ニュー・シネマ・パラダイス」の買い付け秘話、プロデュース作「ハワーズ・エンド」「クライング・ゲーム」(ともに1992年)で米アカデミー賞を獲得した経緯など、映画界を目指す後進への導きの書でもある。吉崎さんに同書にかける思いを聞いた。

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 なんとすごい人生なのだろう! 映画ファンのみならず絶句するに違いない。1960年代に単身イタリアへ飛び、プロデューサーとして2作品を米アカデミー賞に導いた吉崎道代さん(80)。初めて自身の映画人生をつづった『嵐を呼ぶ女』は、業界を生き抜いた証言であり、いま大きく変化する映画界を振り返る記録でもある。

 若き日のクリント・イーストウッドとの邂逅(かいこう)、オスカーノミネーションの裏側、#MeToo運動の引き金となった悪名高きハーヴェイ・ワインスタインとの攻防など、体験を赤裸々に描いた。

「もともと7歳になる孫に自分の人生を知らせたいと思っていたんです。コロナ禍で映画の撮影がストップしたいまこそ、と書き始めました」

 大分県から映画への熱い想いを胸に、父に「結婚資金の前借り」をしてローマの映画学校に留学。さまざまな出会いと試練、裏切りを経て、ハリウッドに通用するプロデューサーになっていく。非英語圏出身で女性というハンデをものともせず、道を切り開いていく様はドラマチックだ。

「女性は生まれたときからアウトサイダーじゃないですか。特に私は7人きょうだいの一番下で、両親の期待もまったくなかった。ある意味『女でよかった!』という感じですよ。好きなことができるということですから」

 フェミニストを自認する。子どもを持ったのも「男性にはできない“女の機能”を使いたかったから」と豪快だ。だがロンドンで子育てをしながら仕事をした時期が、最もつらかったという。

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