7月下旬、東京・秋葉原の歩行者天国では人が行き交っていた。加藤智大は2015年に死刑が確定、今年7月26日、死刑が執行された(photo/写真映像部・松永卓也)
7月下旬、東京・秋葉原の歩行者天国では人が行き交っていた。加藤智大は2015年に死刑が確定、今年7月26日、死刑が執行された(photo/写真映像部・松永卓也)

「死刑になりたい」という犯行動機の無差別殺傷事件が、次々と起きている。その犯人を取材してきた、写真家・ノンフィクションライターのインベカヲリ★さんが見たものとは──。AERA 2022年8月29日号の記事から。

【写真】2008年の秋葉原通り魔事件当日18時頃の現場付近の様子

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 今年7月、「秋葉原通り魔事件」の加藤智大の死刑が執行された。

 無差別殺傷は漠然とした「怒り」の発露のように思う。犯人自身もその目的を言語化できないことが多く、裁判は「事件を起こした理由」がわからないまま終わってしまう。そうしたことからも、無差別殺傷犯には昔から関心があった。

 もし人間を無差別殺傷する側としない側に分けるとしたら、私はする側だろうという意識がどこかにある。大人になってその意識はだいぶ薄れたが、10代の頃はもっと明瞭に感じていた。だから無差別殺傷事件が起きても、「頭のおかしい奴が起こした」とはあまり思えない。似たような行き場のない怒りは身に覚えがあるし、どこか自分と地続きであるような気さえする。

 冒頭の加藤の場合、犯行に至る心理を自ら分析して本にしている。そんな彼でも、取り調べや公判の時点では「事実を説明しようとはしてきましたが、私自身が整理しきれていなかった」と言っている。

■「死刑になりたかった」

 2008年に起きた「土浦連続殺傷事件」の金川真大も印象に残っている。彼は「死刑になりたくて」事件を起こし、裁判でも繰り返しそう述べていたが、「なぜ死刑になりたいのか」までは最後まで納得できる説明をしなかった。そして異例の早さで死刑が執行された。

 彼らに対し「無敵の人」「拡大自殺」などと呼んで納得しようとするのは簡単だ。けれど人間である以上、意味があって行動するのだろうし、ひたすら聞き役に徹すれば、それ以上のものが見えてくるかもしれない。私が「東海道新幹線無差別殺傷事件」(18年)を起こした小島一朗に取材をしようと思ったのは、そうした理由からだった。

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