一方で、ハルコさんは「宝島のいま」を知るために親戚の平田和代さん(67)とよく電話で話をする。先日かけたら和代さんがちょうど13頭の牛の世話から戻ったところで、山海留学生として今春に東京から来た中学1年生とこれから夕飯だという。山海留学生は今年、これまで最高の42人(小学2年生~中学3年生)で、十島村の七つの島に滞在している。宝島は9人だ。91年から始まった同留学制度を利用したのは、昨年までのべ465人に上る。

宝島の大籠(おおごもり)海水浴場/十島村のホームページから、渕上印刷提供
宝島の大籠(おおごもり)海水浴場/十島村のホームページから、渕上印刷提供

■変わらない島の暮らし

 和代さんは中学校を卒業後、島を出た。故郷に戻ったのは20年ほど前だ。

「島の暮らしは変わりません。落ち着くけれど、仕事はありません。自分は民宿もしていますが、船が来るのは週2回だけ。島の暮らしにあこがれてくる若い人もいるけれど、離れていく人もいます」

 村の人口対策室によると、4年前に移住してきた16世帯のうち、昨春まで定住したのは11世帯。7割は「健闘」だろう。

「Uターン」を検討中の人もいる。6月にハルコさんの家でのおしゃべり会に集まったメンバー、亀井ヨシノさん(72)もその一人だ。中学校を出て上京したのが65年。清光社とは別の会社で働き、秀夫さん(69)と結婚後は夫の故郷の群馬県に住んでいる。

「冬の冷たいカラっ風にはまだ慣れないし『海なし県』でしょ」

■若い世代にはまぶしい

 2年前に退職した秀夫さんは旅好きで、海のそばで暮らすことにあこがれがある。最近、宝島のヨシノさんの親戚たちと月に数回、電話で話している。

「2013年に宝島の知り合いからもらった宝島カボチャの種3粒を群馬の畑にまいた。収穫は10月で、300~400個はとれます。でも、島ではもうなくなっちゃったみたい。この種を絶やしてはいけない」

 ただ、子や孫たちは群馬県周辺にいる。

「行ったり来たりができれば、理想的かな。村の空き家をシェアハウスにできれば」

 十島村の村山勝洋総務課長(53)は、東京で開かれる「関東トカラ会」に何度か顔を出したことがある。

「出身者の方々と親しく話ができます。村の財政は厳しいですが、新しい人に来てもらうほか、村の出身者の方々が故郷に帰りやすいように知恵を絞りたい」

 冒頭でハルコさんと孫の真奈さんが会話をしていた夕食の席に話を戻そう。真奈さんの友人は村おこしの仕事をするという。ハルコさんも5月に奄美大島に久しぶりに帰って高校の同窓会に出たら、「奄美で暮らしたい」とやってくる若い人が増えたとも聞いた。

 70年前に自分たちが後にした故郷は、平成・令和の新しい世代に、まぶしく見えているのかもしれない。(ジャーナリスト・菅沼栄一郎)

AERA 2022年8月15-22日合併号