「三者三様の子どもたちですが、障害の有無に関係なく、それぞれ楽しそうに生きています」(江利川さん)/江利川さん提供
「三者三様の子どもたちですが、障害の有無に関係なく、それぞれ楽しそうに生きています」(江利川さん)/江利川さん提供

 8月になりました。お子さまが夏休み真っ只中という方も多いと思います。我が家の子どもたちも学校が休みになり、それぞれ自由に過ごしているようです。

 8月といえば、私には夏休み以外にもうひとつ、大切な思い出があります。

 双子の娘たちが生後3か月まで過ごしたNICU(新生児集中治療室)を退院し、自宅で一緒に生活を始めたのが8月でした。当時の私にとって、双子が退院するということは、長女の病気や障害を受け止め、「自分で育てて行く」という覚悟を持たなければならないことでもありました。

 幸い、私は主治医の先生に恵まれ、しっかりと寄り添ってもらいながら、夫とともに少しずつ、ありのままの長女の状態を受け入れていったように思います。

 そして今、自分がソーシャルワーカーとして患者さんのご家族と向き合う時に、この「早期の受容」がとても大切で、その後の生活に大きく関わっているように感じる場面があるのです。

 今回は、障害の受容について書いてみようと思います。

■結婚当初の夢とほど遠い現実

 夫と結婚したばかりの頃の私には、「ひなちゃん」という名前の女の子をひとり産んで、大切に育てたいという大きな夢がありました。

 そこに出てくる「ひなちゃん」はおとなしくてかわいくて、休日には夫が喜ぶスイーツを一緒に作って3人で食べる……という、本当に絵に描いたような夢です(笑)

 妊娠が判明した時点で双子だとわかり、その夢は最初から少し違ってしまいました。けれども、そのうちにふたりとも女の子だと知ると、今度は自分の両側にいる娘たちを想像して、さらに夢が膨らみました。

 ところが、妊娠8か月で生まれてきた双子のひとりは、早産の影響で脳にダメージを受け、重い障害が残ってしまいました。

「ひなちゃん」と夫との幸せな3人家族の夢からは、ほど遠い現実でした。

■主治医との対話を重ねて徐々に

 今回、「受容」に関することを書こうと決め、そんな自分がいつからこんなに強くなり、立ち直っていったのかを少し考えてみました。

 私の場合は、常に話を聴いてくれた主治医のター先生の存在が大きかったように思います。

 産後は長女の発達外来でたびたび受診していましたが、外来に行くたびに、ター先生はじっくりと時間をかけて寄り添ってくれました。

 私は、本当は子どもとの将来に大きな夢があったこと、先が見えなくて不安なこと、周りからどんな風に見られているのか気になってしまうことなど、長女の発達に関することだけでなく、生活の部分も含めてたくさん話をしました。

 ター先生は決して否定することなく、でも今から思うと、毎回何らかのかたちで、私が長女の障害と向き合えるようなアドバイスをくれていたように思います。私自身も、不安な気持ちを言葉に出してみることで、頭の中を整理できていたのかもしれません。

 ター先生の外来は、毎回1時間近くの枠があり、発達外来というよりは、母親のカウンセリングのような場所でした。でも私はこのプロセスがあったからこそ、次から次に現れた長女の合併症に向き合うことができ、泣きながらも何とか乗り越えられたのだと思います。

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江利川ちひろ

江利川ちひろ

江利川ちひろ(えりかわ・ちひろ)/1975年生まれ。NPO法人かるがもCPキッズ(脳性まひの子どもとパパママの会)代表理事、ソーシャルワーカー。双子の姉妹と年子の弟の母。長女は重症心身障害児、長男は軽度肢体不自由児。2011年、長男を米国ハワイ州のプリスクールへ入園させたことがきっかけでインクルーシブ教育と家族支援の重要性を知り、大学でソーシャルワーク(社会福祉学)を学ぶ。

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「普通」にこだわる長男は時間をかけて自身を受容