7月19日に撤去された献花台。18日は暗くなってからも献花をする人が次々と訪れた。国葬は9月27日に行われることが閣議決定された
7月19日に撤去された献花台。18日は暗くなってからも献花をする人が次々と訪れた。国葬は9月27日に行われることが閣議決定された

 7月に安倍晋三元首相が銃撃され、民主主義の危機が指摘されている。注目される政治と宗教の関係については、どう考えていくべきなのか。AERA 2022年8月8日号は、作家で元外交官の佐藤優さんに聞いた──。

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──安倍晋三元首相が7月8日、奈良市で参院選の応援演説中に銃撃されました。この事件をどうご覧になりましたか。

 私は情報の流れ方がとても不思議だと思っているんです。まず奈良県警からの情報の流れです。銃撃から2時間程度しかたっていないのに「政治的な恨みではない」とリークしました。あまりにも早すぎます。全体像が分からず、取り調べが断片的なところで、重要な情報が流れるというのは、事件に政治性はないという方向に誘導したいという力が働いています。

 それから安倍さんが亡くなってしばらくして「特定の宗教団体」と出ました。当然、その宗教団体はどこだとみんなの関心がいきます。この二つの情報の流し方は、明らかに誘導があります。メディアもSNSでも宗教団体のことで持ちきりでした。

■動機はしっかり精査を

──山上徹也容疑者は家庭崩壊の原因となった世界平和統一家庭連合(旧統一教会)に強い不満を持ち、安倍元首相は教団の「友好団体」にビデオメッセージを送ったことがあるからつながりがあると考え、襲撃したとされています。

 山上容疑者の動機はもっとしっかり精査しないといけないと思います。「法的手段」と「言論」を通じて、こんな多額の献金は公序良俗に則しておかしいんじゃないかと教団に圧力をかけるのが通常のあり方です。それが今回、個人的に解決しようとした。しかも、解決方法が教団に近いと容疑者が信じている人を殺害するということでした。

 こういうことは民主主義が機能していたら起きないはずです。その意味で7月18日付の朝日新聞で「民主主義の構造的な危機」に来ていると東京大学教授の宇野重規さんが言っていましたが、非常に説得力がありました。これには私も同感です。

 現象面においては、果たしてテロだったのかということです。事件後にメディアや政治家が「民主主義への挑戦」と言いましたが、慎重に精査して判断すべきです。あらゆる殺人をテロとしてしまうと、テロの持つ意味合いが拡散してしまいます。また、構造として精査したいのは自力救済という形です。今回、こんな極端な方向に行ってしまった。この二つを仕分けしておくことが、メディアには非常に重要ではないかと思います。それが感情を発露するという方向になってしまっている。非常に危ないと思います。

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