アベノミクス、安全保障法制……。安倍晋三元首相の中国に対抗する態勢づくりをめざした政治姿勢を振り返る。AERA 2022年8月1日号の記事から紹介する。

主要20カ国・地域首脳会議(G20サミット)で、議長の安倍晋三首相(当時)は中国の習近平国家主席と握手した/2019年6月、大阪(写真・ロイター/アフロ)
主要20カ国・地域首脳会議(G20サミット)で、議長の安倍晋三首相(当時)は中国の習近平国家主席と握手した/2019年6月、大阪(写真・ロイター/アフロ)

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 安倍晋三元首相が銃撃されて死去してから約半月。安倍氏不在の日本政治がどう動くか、国内外が注目している。安倍政治とは何だったのか。それは台頭する中国に向き合うことを最大の目的とする政権だったといえる。経済も安全保障も中国に対抗する態勢づくりをめざした。だが、成果が十分あがったとはいえず道半ばで終わった。

 中国の台頭は、日本の民主党政権(2009~12年)下で急速に進んでいた。10年には国内総生産(GDP)で日本を追い越した。一方で日本経済はリーマン・ショックからの回復が遅れ、円高に悩まされていた。

 10年9月には尖閣諸島沖で操業中の中国漁船が海上保安庁の巡視船に体当たりし、中国人船長が逮捕された。那覇地検は船長を処分保留のまま釈放することを決定。船長は中国のチャーター機で帰国した。野党だった自民党は民主党政権を「弱腰」と批判した。

 第2次安倍政権が12年末に発足した直後、安倍氏は安全保障担当のスタッフに「尖閣沖の中国漁船のような事件は絶対に起こしてはならない」と語っている。中国の台頭に危機感を募らせる国民世論が政権の追い風になるという読みもあった。

 安倍氏は、中国に対抗するには経済の立て直しが欠かせないと判断。早々に着手したのがアベノミクスだった。金融緩和で円高から円安に転換。株価も上昇し、景気が回復した。自由貿易の枠組みで中国包囲を狙う環太平洋経済連携協定(TPP)への参加も決めた。それでも、中国経済が順調に成長したのに比べ、安倍政権下の経済は伸び悩んだ。アベノミクスの3本目の矢である成長戦略や構造改革が進まなかったためだ。国政選挙が相次ぎ、安倍政権は自民党の支持団体などに配慮して大胆な改革に踏み込めなかった。

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