AERA 2022年6月6日号
AERA 2022年6月6日号

■懐かしさと燃える感覚

高橋:僕は2年目の全日本ですね。やっぱり悔しいというか、シーズンの中で一番悪い内容でした。一番大事な試合で一番ダメな演技をしてしまったというところに、自分の弱さを改めて感じました。コロナ対策の入国制限でマリーナ(・ズエワ)コーチも来ることができなかった。五輪選考がかかっていましたし、けっこうプレッシャーのかかる試合でした。その空気感の中で、自分たちだけで上げていかないといけない熱量は相当厳しいものがありました。

――その全日本は2位に。北京五輪出場という2人が掲げていた目標は果たせなかった。

高橋:五輪は一つの大きな目標でしたけど、お互い五輪がすべてではなかった部分がありました。それぞれアイスダンスをやるにあたって、それぞれの思いがあったわけで、五輪に出られないのは悔しかったですけど、四大陸選手権と世界選手権の出場権をもらえた。特に哉中ちゃんは代表として名前が呼ばれた時は、「よし!」とガッツポーズをしていました(笑)。

村元:代表発表は、シングルもペアも五輪に選ばれた選手が世界選手権も出場するという流れでした。「ああ、これは無理かな」と思っていて、名前が呼ばれて、「よっしゃ」と(笑)。

高橋:もしいきなり五輪だったら、僕はかなり緊張していたと思う。四大陸選手権と世界選手権に出場できるということで、すぐに気持ちを切り替えることができました。NHK杯とワルシャワ杯で国際大会である程度の得点がもらえていて、「欲」が出ていた。その中で世界のトップチームと戦える。自分たちの現段階での世界の位置を確かめることができる、と。

村元:四大陸選手権はメダルの可能性があるチャンスだと思っていました。2年間で国際大会ではあまり戦っていないので、自分たちには世界ランキングポイントがあまりない。メダルを取ればポイントが上がる。そうすれば、世界選手権の滑走順も変わる。やっぱり、後半グループで滑る方がいいですからね。

――満を持して臨んだ世界選手権。高橋はシングル時代の2013年以来、9年ぶり。村元は4年ぶり。“かなだい”としての世界選手権は16位だった。

村元:久しぶりで何とも言えない感覚でした。外国の選手もみんな覚えていてくれて、「久しぶり! 元気だった?」「大ちゃんと出るなんてすごい」と。でも、アスリート魂じゃないですけど、性格上、負けず嫌いなところが出てきて、懐かしい思いと燃える感覚もありました。

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