古巣の日本科学未来館を歩くと、そこかしこでスタッフから「元気?」と声をかけられる。広報の長田純佳は「困った人がいるとほっとけなくて、どこへでも飛んでいくのは昔から変わってません」と話す(撮影/MIKIKO)
古巣の日本科学未来館を歩くと、そこかしこでスタッフから「元気?」と声をかけられる。広報の長田純佳は「困った人がいるとほっとけなくて、どこへでも飛んでいくのは昔から変わってません」と話す(撮影/MIKIKO)

「行政や研究機関は研究成果のアウトリーチに悩む一方で、企業や一般の人々は科学技術に無関心という現状がある。その間に立って、コミュニケーションの橋渡しをするのが科学コミュニケーターです。そのためなら、話すし、作るし、書く。つなげる方法は問いません」(本田)

 幼い頃から、自然や宇宙が好きだった。大阪府枚方市育ちで、5人兄弟の長男。母親の峰子は、熱心に図鑑をめくる本田の姿を記憶している。

「当時住んでいた団地の前に、毎週市の移動図書館がきてたんです。そこでよく星座や実験の本を借りて夢中で読んでいましたね」

 小学生の頃は、夏休みや冬休みになると父母の実家がある鳥取県に帰省し、天体観測に熱中した。暗闇から滴り落ちてきそうなほど満天の星々に心を奪われ、将来は天文学者になると決めた。

「その頃、ちょうど宇宙に関する歴史的な出来事がたくさんあったんです。ボイジャー2号が初めて海王星の撮影に成功したり、毛利衛さんがスペースシャトルに乗って宇宙に行ったのをテレビにくぎ付けになって見ていました」(本田)

 高校卒業後は、全国でも数少ない惑星科学が学べる神戸大学理学部に進学。物理、化学、地学などの基礎科学全般を学んだ後、同大大学院の自然科学研究科(当時)に進んだ。当時取り組んでいた研究テーマは、「小天体を模擬した表面の光散乱の特性」。指導教官だった神戸大学大学院理学研究科准教授の中村昭子は言う。

「本田さんは小天体の表面の粗さや構造が光の色や見え方に与える影響を調べていました。とても主体的に実験に取り組んでいましたよ。他の研究メンバーとも生き生きと交流していました」

 また、院生1年目のときには、小惑星探査機「はやぶさ」のプロジェクトにも携わり、JAXAの相模原キャンパスに泊まり込んだこともあった。

「朝早く解析室に行くと、人類が見たことのない小惑星の画像が探査機から届いてるんです。めっちゃ興奮しましたよ。探査機の影が画像に映っているだけで『おお!』と盛り上がったり(笑)」

 はやぶさプロジェクトの研究員で、日本大学理工学部准教授の阿部新助は、当時をこう振り返る。

「現場には、研究者やエンジニアが20人ほどいて、毎日イトカワの画像を見ながらブリーフィングを開いていました。本田くんは場を盛り上げるようなキャラクターで、物怖じせずに話せる。どんな場でもすぐになじんでいましたね」

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