「シン・ウルトラマン」でウルトラマンは巨大不明生物“禍威獣(カイジュウ)”の存在が常態化した日本に飛来する謎の飛翔体として姿を現す(撮影/蜷川実花)
「シン・ウルトラマン」でウルトラマンは巨大不明生物“禍威獣(カイジュウ)”の存在が常態化した日本に飛来する謎の飛翔体として姿を現す(撮影/蜷川実花)

■スタッフの愛情合戦

斎藤:「シン・ウルトラマン」は、例えば環境問題など、知的生命体のある種の愚かさを冷静に見つめ直すきっかけになる、グローバルな強さがあると思います。

――企画・脚本の庵野、監督の樋口をはじめ、製作陣は「ウルトラマン」に強い思い入れがある。

斎藤:あの世代の方たちが、映像の世界に導かれていったきっかけが「ウルトラマン」だったりする。「もし『ウルトラマン』が存在しなかったら、既存の多くの作品は生まれてなかったかもしれない」と、その深みとスケールを日に日に感じています。きっといつの時代も少年たちは、ヒーローの奥にある社会性から、何かをキャッチするんですよね。

 今回は監督陣をはじめ、スタッフの方々の、ウルトラマンに対する愛情合戦みたいなところがありました。共通しているのは、オリジナルにリスペクトをしながら、技術的なことも含め、かつては描けなかったことを描こうとしていること。「シン・ゴジラ」の現場でもいち早くスマートフォンでの撮影が導入されていましたし、今回も好奇心と愛にあふれた現場でした。

 一台のカメラで撮るのがベーシックの映画撮影スタイルですが、今回の現場ではあまりにも多くのカメラが分散してありました。今まで見たいけれど見られなかったアングルが、見られるようになった。僕ら出演者もスマホのカメラを持って撮影に参加しました。出演者も把握していないところにもカメラがあって、さまざまな視点からの映像がある。無数に採取された素材のなかに自分の肉体がたまたまある、という感覚に未来を感じました。日本の業態だと新しいことを取り入れるのに時間がかかることが多いですが、このチームは飛び級的に映画を進化させていると思います。

■ロマンの素地もらった

――自身にとって、ウルトラマンはどんな存在だろうか。

斎藤:僕はシュタイナー教育を受けていて、家庭では娯楽が制限されていたので、ウルトラマンシリーズを実際に観たのは大人になってからなんです。ただ、自宅にウルトラマンと怪獣のフィギュアはありました。実は父親が映像業界で仕事をしていて、そのきっかけが円谷プロでウルトラマンシリーズの爆破担当のアルバイトをしていたことだったんです。子どもの頃の僕はそのフィギュアを見て、勝手に物語を想像していました。父がそういう仕事をしていたことは、この作品に出演することを報告した時に、初めて聞きました。

 父の弟にあたる叔父がかなりのウルトラマンフリークでした。僕が小学校高学年の頃、自宅にあったウルトラマンのフィギュアから別の娯楽に興味が移るようなタイミングで、ウルトラマンの魅力を熱弁されて、引き戻してもらった記憶があります。エンターテインメントにロマンを見いだす素地を作ってもらったのかなと思います。

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