アンドレイ・コンチャロフスキー監督(Andrei Konchalovsky)/1937年、モスクワ生まれ。「僕の村は戦場だった」(62年)の共同脚本ほか、「パラダイス」(2016年)などがある。全国順次公開中
(C)Produced by Production Center of Andrei Konchalovsky and Andrei Konchalovsky Foundation for support of cinema, scenic and visual arts commissioned by VGTRK, 2020
アンドレイ・コンチャロフスキー監督(Andrei Konchalovsky)/1937年、モスクワ生まれ。「僕の村は戦場だった」(62年)の共同脚本ほか、「パラダイス」(2016年)などがある。全国順次公開中 (C)Produced by Production Center of Andrei Konchalovsky and Andrei Konchalovsky Foundation for support of cinema, scenic and visual arts commissioned by VGTRK, 2020

 1962年6月1日、ソ連の地方都市ノボチェルカッスクで労働者たちが大規模なストライキを起こした。市政委員会に勤める共産党員のリューダは「全員を逮捕し、首謀者に厳罰を!」と毅然と言い放つ。だが翌日、労働者たちが次々と銃撃される――。新連載「シネマ×SDGs」の3回目は、実際の事件をもとに描いた映画「親愛なる同志たちへ」のアンドレイ・コンチャロフスキー監督を直撃した。

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――ロシアのウクライナ侵攻が止まりません。現在のモスクワの状況はどうですか? 

 私が住んでいるのはモスクワから車35分ほどの郊外で、いまのところロシアでの生活に特に変化はありません。しかしこの状況を、いまも心配な気持ちで見守っています。私は世界で自ら戦いたいと思う人を一人も知りません。戦争をしたいと思っている人間なんて一人もいない。でもこの悲劇が起きてしまっています。

 アートというものはその時代が平和であろうと戦争中であろうと革命中であろうと、常に同じように人々の琴線に触れていかなければいけないと考えています。アートとは人間の「存在理由」に深く関わるべきだからです。本作は1962年に起こり、ソ連時代終焉まで秘匿されていた「ノボチェルカッスク事件」を描いていますが、実際の事件をそのまま描くのではなく、「人間」というものについて描いたつもりです。60年前の事件を描いたこの作品がいまに、さらに50年後にも同じように響けばうれしいし、そうであってほしいと思っています。

映画の場面 (C)Produced by Production Center of Andrei Konchalovsky and Andrei Konchalovsky Foundation for support of cinema, scenic and visual arts commissioned by VGTRK, 2020
映画の場面 (C)Produced by Production Center of Andrei Konchalovsky and Andrei Konchalovsky Foundation for support of cinema, scenic and visual arts commissioned by VGTRK, 2020

――ヒロイン・リューダがストライキを起こす労働者側でなく、共産党側の立場だったことが意外でもあり、より深い考察を促していると感じます。どうやってこのストーリーを編み出したのでしょう? 

 今回はリューダのように厳格な共産党員の人生を分析することに興味を持ちました。私は共産主義を信じている人たちへのリスペクトを持っています。戦後、ソ連だけでなくユーゴスラビア、フランス、イタリアなどにも「共産主義こそが私たちの進む道だ」と心から信じた人たちがいて、それは重要なムーブメントでもありました。

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