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「インクルーシブ」「インクルージョン」という言葉を知っていますか? 障害や多様性を排除するのではなく、「共生していく」という意味です。自身も障害を持つ子どもを持ち、滞在先のハワイでインクルーシブ教育に出会った江利川ちひろさんが、インクルーシブ教育の大切さや日本での課題を伝えます。

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■初めは感謝を伝えたくて立候補

 新年度がスタートし、我が家の双子の娘は高1、年子の息子は中3になりました。新学期最初の懇談会で、PTAの役員決めを行う学校も多いと思います。

 敬遠されがちなPTA活動ですが、私は今年度、次女と息子が通う幼小中高一貫校のPTA副会長に立候補しました。幼稚園から高校までの保護者の方に接することができるのは、多くのつながりが生まれ、なかなか楽しいものです。初めは障害のある息子を受け入れて頂くことへの感謝の気持ちを伝えたくて立候補したはずが、ここ数年は、自分自身の楽しみにもなりつつあります。

 今回は、これまでのPTA活動に関することを書いてみようと思います。

■先生方との距離が近くなる

 私がこの学校で最初にPTAの役員を受けたのは、今年高校生になった次女が幼稚園の頃でした。当時は足が不自由な息子はまだ歩けず、次年度の幼稚園の受け入れ先を必死に探していました。今では笑い話ですが、何とか息子の入園につなげるために私にできることはないかと考え、次女のクラスで役員を受けることにしたのです。

 役員は必然的に先生方との距離が近くなるため、会話の中でたびたび息子の近況を聞いてもらえることをうれしく思いました。そして会話の流れから、たまに幼稚園に遊びに行かせてもらえるようになったり、息子よりひとつ下の学年のお子さんに混ざってプレ保育に通ったりと、以前より息子が園に出入りする時間が増えていったように思います。

 ここが私のPTA活動の原点でした。

■「この学校の一番良いところを知った」

 小学校では、次女と息子を合わせて7年在籍したうち、5年間クラス役員を受けました。

 在籍期間の後半になる頃には「役員常連」と認識されていた私は、学年が違う先生や保護者の方との交流もかなり増えました。特に保護者間は、子どもを通じたつながりであるため、お互いの子どものことを話す機会がたくさんありました。

 当時、息子は装具を履いて登校していたため、ちょっとした有名人であり、その男の子が私の息子だと伝えると、とても好意的に見てもらえるようになりました。中には障害のある息子を見て「この学校の一番良いところを知った気がしました」と言って下さった方もいました。役員を受けなければ、聞くことのなかった言葉です。このつながりを大切にしていきたいと思いました。

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江利川ちひろ

江利川ちひろ

江利川ちひろ(えりかわ・ちひろ)/1975年生まれ。NPO法人かるがもCPキッズ(脳性まひの子どもとパパママの会)代表理事、ソーシャルワーカー。双子の姉妹と年子の弟の母。長女は重症心身障害児、長男は軽度肢体不自由児。2011年、長男を米国ハワイ州のプリスクールへ入園させたことがきっかけでインクルーシブ教育と家族支援の重要性を知り、大学でソーシャルワーク(社会福祉学)を学ぶ。

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