作家・画家の大宮エリーさんの新連載「東大ふたり同窓会」。東大卒を隠して生きてきたという大宮さんが、同窓生と語り合い、東大ってなんだろうと考えます。初回のゲストは解剖学者の養老孟司さんです。

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大宮:私、東大出身であるのが色眼鏡で見られるから嫌だったのですが、最近、母校のことを知りたい、話したいと思うようになって。それで、対談の第1回で養老先生に会いたいと希望しました。

養老:こちらこそ、どうぞよろしく。

大宮:先生は東大の学生であり、そして東大の教員という両方から東大を見られましたよね?

養老:学生時代の18歳から57歳までいたんです。通算すると39年。

大宮:えー!長い! では、東大愛みたいなものが?

養老:それは慣れた場所ですから。僕は面倒臭いというか居場所を変えるのが苦手で。慣れているのが一番。

大宮:ラクなんですね。

養老:東大に関しても慣れているっていうところが。

大宮:東大生に教えてらした頃、自分たちの学生時代に比べてバカになったなぁというのは?

養老:それは……とにかくいろんな人がいましたね。試験の基準だけで切っているので、それ以外についてはぴんきりで。

大宮:私たちの頃は、東大生がバカになったと言われ、先輩方に申し訳ないという思いでいっぱいでした。先生もそう思って教職を辞められたのかと。

養老:そうじゃないです。どこにいても同じだったと思います。

大宮:私の東大愛でいえば、建物が好きでした。

養老:それはありますね。関東大震災直後に建てられた建物で、当時としての対策は万全で、非常に丈夫で、天井は高いし、気持ちよかった。

大宮:安田講堂や図書館も風情があって。そういうところで学べるってワクワクでした。

養老:医学部本館は昭和12年から使われていて。自分が生まれた年だから肌が合うんじゃないかなと。戦後に造られた建物と比べたら雲泥の差がありますね。当時の建設費を今のお金で計算したら、戦後の大学に対するお金のかけ方の不十分さが出てくると思うんです。

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