エッセイスト 小島慶子
エッセイスト 小島慶子

 タレントでエッセイストの小島慶子さんが「AERA」で連載する「幸複のススメ!」をお

届けします。多くの原稿を抱え、夫と息子たちが住むオーストラリアと、仕事のある日本とを往復する小島さん。日々の暮らしの中から生まれる思いを綴ります。

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「子どもに戦争についてどう話せば?」。悩ましいですね。なぜ戦争はしてはいけないのか。殺し合いだからです。

 昨年亡くなった半藤一利さんの『15歳の東京大空襲』という本があります。半藤さんが15歳の時に一晩で10万人以上が焼かれた東京大空襲の炎の中を逃げ惑った体験を、中高生向けに綴(つづ)っています。その中に、こうあります。「戦争によって人間は被害者になるが、同時に傍観者にもなるし、加害者になることもある。そこがはじまってしまった戦争の真の恐ろしさなんです。(中略)日常生活から戦争につながるようなことを、日々駆逐する、そのほかに良い方法はないのです」。日常生活で?と悩むかもしれません。

戦争はドラマではなく不毛な「殺し合い」。マリウポリの火の残る建物から物資を運び出す男性/3月22日(photo gettyimages)
戦争はドラマではなく不毛な「殺し合い」。マリウポリの火の残る建物から物資を運び出す男性/3月22日(photo gettyimages)

 戦場では、人は名前をなくします。「○○人だから」「○○教信者だから」などの属性だけで、会ったこともない人同士が殺し合うのが戦争です。一度始まると勇ましい言葉が飛び交い、「○○人は正義、○○人は鬼畜」「○○がんばれ、○○殲滅(せんめつ)」と感情が昂(たかぶ)り、憎悪と殺戮(さつりく)が拡大します。命は数字の1になり、数が増えるほどひとりに一度きりの死は見えなくなります。いま日本で報道を見ていると感情を揺さぶられ「○○許せん、○○を救え」と論じてしまいます。けれど戦地を生きる一人の人間の視点で見れば、いきなり砲撃されることも、召集令状一つで死地に駆り出されることも理不尽です。いずれも、人が人間ではなくモノのように扱われること。これは日常生活の中の差別やいじめも全く同じことです。

 半藤さんは戦争を語る際の危うさについてこうも綴っています。「よほど冷静に語ろうと思っても(中略)さながらそこに人間の美徳があるかのように熱っぽくなるのが人間というものです」。戦争はドラマではなく不毛な殺し合いです。一刻も早く戦闘を止めることしか「良い方法」はありません。

小島慶子(こじま・けいこ)/エッセイスト。1972年生まれ。東京大学大学院情報学環客員研究員。近著に『幸せな結婚』(新潮社)。『仕事と子育てが大変すぎてリアルに泣いているママたちへ!』(日経BP社)が発売中

AERA 2022年4月4日号

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小島慶子(こじま・けいこ)/エッセイスト。1972年生まれ。東京大学大学院情報学環客員研究員。近著に『幸せな結婚』(新潮社)。共著『足をどかしてくれませんか。』が発売中

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